《投と離》
投に要するものとは。
前回記事の終わりに、この様に書かせて頂いた。
投と言う字の成り立ちを調べてみると、手に持った殳を投げる様子を表す文字であると言う。
ヤリではなく、ホコ。
「そう言えば、違うものだ。面白いな」
と、それぞれについて調べてみた。
ホコは矛や、戈、戟、鉾、鋒などの字を当てる、両刃の剣に長い柄をつけた武器。
槍や鎗、鑓などと書かれるヤリとは形状・構造上ともに違いがあり、武器としての使用法も異なる。
大まかに言えば、ホコは斬るのがメイン。
ヤリは突くのがメイン。
そしてどちらも、投げることが出来る。
投げる時、当たり前に持ち主の手元からは離れる。
紐を付けておいたり回収する係でも他に居ない限り、主の方で近づいて取り戻す他ない。
取り戻す他ないし、投じるものには、戻って来ない場合も多い。
投票などは分かり易い。
「やっぱ返して!」とは出来ないものだ。
この離れる、と言うのがポイントで、投に要するものが何なのかはここに注目すれば明らかとなる。
それは、距離である。
彼方と此方。自と他。言い方は何であっても、とにかくその間に、距離がある。
距離がある時、様々な「不」が生じ易くなる。
まず不明。この不明を面白いと感じると、不明は不明としてシンプルなままで、変に膨張しない。
不明なものを只そうであるだけと認める時、全体一つの流れでそれが起きたことの不思議さに気づき、味わい深さが出て来る。
不明を不快とする時、連鎖的に別の不が多発する。
不安。不可解。不足。不満。
一気にややこしい動きとなるのだ。