などと誰かが言えば、まずもって正気を疑われるだろうし、横についてもまた然りである。
だが、この世の全ての縦ではなく、またこの世の全ての横でもなく、目の届く範囲、影響の及ぶ範囲についてであればどうだろう。
我を持ったまま思う存分に縦横無尽な動きをしようとして、互いにぶつかり合う。
これは不覚社会の中で割と見かける状態では、ないだろうか。
特定の誰かによる、都合を絡めた思いでは、縦も横も無尽にはならない。
そこには「限りなく行ってやるぜ!」と言う個人の願望があるのみ。
だが都合ありきの行動だと当たり前に、都合の悪い所には向かわない。
つまり無尽ではない。
制限が付いている時点で、四方八方への縦横無尽など、なり様がないのだ。
もし本当に縦横に尽きることのない思う存分な動きがあるのなら、それは人の思惑を超えたものであると気づいた。
個の思いが作る限界の枠を越えて自由に、何にも縛られず、何も縛らずに、広がる動き。
どこまで広げてやろうとか目指すこともなく、進む中で役割が変わることも厭わない。
只、天意からの愛だけが、そこにある。
波の様に、呼吸の様に、点滅の様に、虚空から送られる天意からの愛。
その流れに乗って進むことを楽しむ時、人は我知らず、感謝している。
「無尽とは本当にあることなのだ」と、実感する様になる。
そして尽きぬ世界で、一つ一つの体験を味わい尽くすこと、誠を尽くすこと。
この意味と素晴らしさにも気づくことになる。