じん無尽むじん

 

縦横は、誰かのもの?

 

前回記事の締め括りに、こう書かせて頂いた

 

縦は誰のものか。

 

横は誰のものか。

 

「この世の縦は私のものである」

 

などと誰かが言えば、まずもって正気を疑われるだろうし、横についてもまた然りである。

 

だが、この世の全ての縦ではなく、またこの世の全ての横でもなく、目の届く範囲、影響の及ぶ範囲についてであればどうだろう。

 

我を持ったまま思う存分に縦横無尽な動きをしようとして、互いにぶつかり合う

 

これは不覚社会の中で割と見かける状態では、ないだろうか。

 

特定の誰かによる、都合を絡めた思いでは、縦も横も無尽にはならない。

 

 

そこには「限りなく行ってやるぜ!」と言う個人の願望があるのみ。

 

だが都合ありきの行動だと当たり前に、都合の悪い所には向かわない。

 

つまり無尽ではない。

 

制限が付いている時点で、四方八方への縦横無尽など、なり様がないのだ。

 

 

もし本当に縦横に尽きることのない思う存分な動きがあるのなら、それは人の思惑を超えたものであると気づいた

 

個の思いが作る限界の枠を越えて自由に、何にも縛られず、何も縛らずに、広がる動き

 

どこまで広げてやろうとか目指すこともなく、進む中で役割が変わることも厭わない。

 

只、天意からの愛だけが、そこにある。

 

 

波の様に、吸の様に、の様に、虚空から送られる天意からの愛

 

その流れに乗って進むこと楽しむ時、人は我知らず、感謝している。

 

無尽とは本当にあることなのだ」と、実感する様になる。

 

そして尽きぬ世界で、一つ一つの体験味わい尽くすこと、誠を尽くすこと。

 

この意味素晴らしさにも気づくことになる。

 

尽きぬ中で、尽くす歓び。

(2025/12/11)