《天地を観る》
前回記事を書かせて頂いた後も、馬の視野について意識を向けていて
「散歩しながら、馬がしないこともやってみよう」
と、首を色んな角度に動かしてみた。
馬にとってどの方向を見る機会が少ないかと言えば、やはり上じゃないだろうか。
敵が来る可能性が四方に比べて少ない。
馬に発生する他の用事も上には少ない気がして調べてみたら、実際、草を食べたり水を飲む為に向く下方に比べて、上への視野は狭いのだと言う。
比較的、必要性がないことの表れかも知れない。
「上から敵が来るってこと、あるのかな?」
木々の多い公園を歩きながら問うと、岩場の上から飛びかかって来る肉食獣などが浮かんだ。
しかし、あまり高い所からだと降りて来る間に逃げられそうだ。
空を飛んで来て馬を攫って行く程に、大きな鳥も見たことがない。
雑木林を見上げて高い木の枝にとまっている鳥を見つけたが、どれも手のひらに乗るか、肩にとまる位の大きさで馬より小さい。
「馬が見ない方向を観察するぞ~」
と、木の天辺を順に眺めていて、そう言えば人間もあまりこの角度で物を見ないなと気づいた。
「だから、あれが必要になったりするのか」と納得したのが、先日ひょんなことから映像で見た、上を向く首のストレッチ。
普段の人間生活に足りていない動きを補うものなのだろうか。
屋内でコツコツと天井を見上げるのも結構かも知れないが、外で木の天辺を見るのも面白い。
鳥達が居ればその様子を観察出来るし、天候に応じて青空や、雲の流れを観ることも出来る。
上方も観て面白いものが沢山あるなと愉快に感じて歩いていたら、大きな桜の木の枝に蕾が沢山生まれているのが見える。
寒さの中で、すくすくと育っている。
広がる空に顔を向け、足元の感触にも意識を向けながら、惜しみなく輝くいのちの運びを発見出来て嬉しくなった。
いずれ花になるから良いと言うのではない。
今まさに、この蕾のままで、十分に愛おしく素晴らしいのだ。
天地を観て、いのちを観る。
(2026/1/8)
