《確かでやわらか》
地と言う字の左にある土は硬く土台になる確かなものを示し、右にある也の方はうねうねぐねぐねと、しなやかにやわらかいものを示していると言う。
先週記事にて、この様に書かせて頂いた。
地が確かでありつつ、柔軟でもあるからこそ、人は自由に活動出来る。
確かでなければ家々の敷地を定めることは出来ないし、上に向かって建物の層を重ねることも出来ない。
やわらかでなければ、そこに育つものを変えることも、所有者と名乗る人物を変えることも出来ない。
地がそうした役割を果たしている間、人はどの様な役割を果たしているだろうか。
人は、地に出来ぬ役割を果たす。
地が人に出来ぬ役割を果たすのと同じに。
相応しい役でそれぞれを活かす。
それは物理次元の醍醐味と言える。
地に出来ぬ人の役割とは、自由意志によって移動すること。
そして新しい体験をすること。
人の行う体験に、新しさがある時。
それは同時に地にとっても、新しい体験となる。
毎瞬は常に新しい。
だが初の試みであることを意識が自覚しているかどうかで、新しさをどれだけ鮮やかに感じられるかは変わる。
新鮮味は変化する。
あらゆる体験に必要な場を、地は人に提供している。
物理次元は毎瞬新しく発生するので、地も本来、古い場を提供したりはしない。
しかし人の意識は、見慣れたと思っている場所について、新鮮味が薄れた様に感じることがある。
只そこでも又、一つの役割を果たしているのが面白いことである。
人々は新鮮味を求めて移動することで、「掻き混ぜる」役を果たすのだ。
真っ直ぐな意識で柔軟に動く時。
人は地の様に、確かでやわらかとなる。
地も又、空より生ず。
(2025/10/2)
