あじ

 

夏の間、の様にそれぞれのを伸ばしきり、枯れ始めていた近くの空き

 

先日も眺めていたら草刈りの人が来て、夜また見たら地面が丸坊主になっていた。

 

黒々とした土は、まるで初めからそこに何も居なかったかのように静かで、それでいて別に寂しそうでもない

 

獲得も喪失もなく、常に只、そうであるだけ。

 

数日の後、ポツポツと見え始めた小さな草の芽が、一週間もたたずにやわらかな緑となって地を埋め始めている

 

 

また新しい、賑やかな祭の始まり。

 

こうして草木が育まれるのを見る度に感心するのだが、地の力とは凄いものだ。

 

味わい深く、こんなにも活き活きとしている。

 

そして常に今を生きている

 

 

それなのになことが、軽く見られたり時には嫌われたりまでするのは何故だろうか。

 

と言う字の左にある硬く土台になる確かなものを示し、右にあるの方はうねうねぐねぐねと、しなやかにやわらかいものを示していると言う。

 

確かでありつつ、柔軟。

 

領土拡大に分割意識達がどれだけ躍起になっていても、盛りの時期を過ぎて、盛者必衰の理などと言うように失速して去った時。

 

 

はそれを惜しまないし、かと言って喜んだりもしない

 

誰が立とうと、誰が育とうと、地は地である。

 

一等地とか僻地とか、評価にさらされたりもするが、の方では生まれるものを何ら評価しない

 

これは植えるなとか、これは生えるなとか、選別したりしていない

 

 

勿論その土地によって向き不向き、役割分担はある。

 

砂漠にも、そこに適した植物が育つ

 

だが食べたり物作りをしたりと、暮らしに役立つ材料が作れないと、人間はそこを不毛の地と呼んだりする。

 

それも地は全く気にしていないのだ

 

深みを増す、地の味わい。 

(2025/9/25)

次回の更新は30日(火)になります。