《かえる役》
「かえる」と言う動きについて、分割意識は二重三重に入り組んだ状態を設定して、認識をぼやかしている。
先日記事にて、この様に書かせて頂いた。
何故わざわざぼやかすのか。
申し上げるまでもなく、元の虚空に意識が「かえる」ことは、不覚の終わりを意味するからだ。
もう、悩み苦しみに没頭することが出来ないし、
自分だけの利益を求めて小細工する気も起きなくなるし、
望んだ反応を人から引き出すことに何の魅力も感じなくなる。
これまで慣れ親しんで来たノリが、ちょっとした冗談のような軽いものに変わる。
「それは嫌だ」と言う分割意識の抵抗が、「かえる」をぼやかす力になる。
だが、そもそも虚空が最後の最後までこのルートは取っておこうとして、ぼやかした部分もある。
全母たる虚空と子たる人型生命体両方からの求めで、「かえる」はこれと定まらない、ぼんやりとしたイメージで保存されて来たのだ。
簡単に覚めたくはないから、こんなに手間暇かけている。
覚めないことを人が悩んだりするのは、或る意味で望み通りなのだ。
「かえる」には、更に別の字があると気づいた。
孵る
この字を使う「かえる」は、殻を破って雛が誕生することを表現していると言う。
分神としての新生も意味している「かえる」は、やはり出来るだけ曖昧に保存される必要がある言葉だったのだと分かった。
一旦殻から出た後で、割れた殻を元通りにしようとしても、ご承知の通りそれは叶わない。
意識が虚空に還り、分神として物理次元に孵ると、殻も中身も質においては同じと分かる。
只、流動と点滅があるだけ。そして、それぞれの役割があるだけだ。
覚めないことにも、かえらぬことにも意味があり、その役割がある。
そして覚めてからは、覚めたことによる役割があるのだ。