《ぼやける三つ子》
前回記事にて申し上げた「返と、帰と、還って、何だ?」の問い。
興味が湧いたので調べてみると、返と帰には元の状態や場所に戻ることを表すと言う共通点はあるが、ニュアンスはそれぞれ異なる。
返の方は、「球が返る」等の様に、主として物や状態が元の場所や状態に戻ることを指す。
それに加えて、表裏や方向が変わる意味でも用いられる。
ひっくり返ったり、反り返えったり。
寝返りを打ったり、引き返したり。
動きの方向は様々。
心が平素の状態に戻ることを「我に返る」と表現したりする様に、視覚化出来ないものを返で表現することもある。
只、目に見えなくとも我と意識が見なすものは、その我以外から明確に区分けされている。
返は、意識によって区切られた状態で認識される、ある点から別のある点への移動を示しているのだ。
では、帰はどうだろう。
こちらは、人が自分の家や故郷、または本来いるべき場所に戻ることを指すと言う。
つまり、動くのは人。
自宅や地元など物理的な場所だけでなく、「平穏な日常に帰る」「原点回帰」等、抽象的な状態の変化も表すことがある。
そして還は返や帰とは異なり、単に元の場所に戻るだけでなく、より根源的な場所や状態へ戻る意味合いが強いそうだ。
見つけた解説には、
「長い旅や困難な試練を経て元の場所に戻るというニュアンスや、生命の循環、本質への回帰といった哲学的な意味合いで使われることが多い」
と、あった。
回帰と表現するのであれば、それは帰の仕事になるんじゃないだろうか。
どうにもこの三字について不覚社会がする説明は、分かったような分からない様な曖昧さを、所々に残している。
字の成り立ちを紐解いてみても、その曖昧さは変わることがなかった。
ここで最初に気づいたのは、「かえる」と言う動きについて、意識が二重三重に入り組んだ状態を設定して、認識をぼやかしていると言うこと。
続いて分かったことについては、来週記事にて申し上げることにする。
ぼやけると、起こること。
(2025/11/6)
