全編にわたり驚く程深いメッセージに満ちた作品を題材として受け取った為、おそらくこれまでで最長の記事となりました。

誠にあいすみませんが、飽きたら適当に区切る等されて、各自いい塩梅にしてご覧下さい。

では記事へ。

 

 

 

《0に立つ》


「えぇ〜、長い話になるぜぇ〜」

今回記事でご紹介する題材について上から振られて浮かんだ、正直な感想。

何せ5まで有るし、角度を変えた「その後」を描いた作品も有るらしい。

「ハマった時のしつこさ」発揮で、全作視聴するのかと思いきや、この作品に関して今の今お伝えすることが必要なのは一作目に関してのみ、だそうだ。

それでも二回にわたるし、それぞれ結構な情報量である。

 


世に知られたこの作品を、宮司は今回初めて観賞した。

テレビ放映されているのを、ちらっと眺めた様な覚えはあるが、全体どんな話なのかは知らなかった。

観る前の宮司の様に「ロッキーの、有名な部分しか知らない」方々に向けて、又、知っている方々にとってはおさらいと言うことで、改めてストーリーをご紹介しながらお届けする。

舞台は70年代のアメリカ・フィラデルフィア。
賭けを楽しむ様な場末のボクシング会場で、勝っても負けても雀の涙程の報酬にしかならない試合のリングに上がるロッキー。

 

ボクサーとしてはとても食べて行かれず、高利貸しの使い走りで借金の取り立てをして、何とかしのいでいる。

 


芽が出ないので彼にボクシングを教えたジムの経営者にも見離され、使っていたロッカーも取り上げられて、上り調子の若い選手に渡される始末。
 
30歳と言う年齢から、引退の二文字もチラついている。
 
ヤクザ稼業のヘルプでも非情になりきれず、惚れた女へのアプローチもなかなか上手く行かずに、八方塞がりのロッキー。
 
ところが感謝祭の晩に突如、友人の妹でもある惚れた女エイドリアンとの関係が、手応えなしだった所から一気に進展
二人は恋仲となる。
 


 翌朝ロッキーの元に、又も信じられない様な大チャンスが舞い込んだ。
 
ヘビー級世界チャンピオンであるアポロが5週間後に、フィラデルフィアで大きな試合をする予定だったのが、挑戦者が怪我で欠場することになってしまった。
 
他の世界ランカーも出場の都合がつかない
 
金もかけてるし、スポンサーを怒らせたくはない。
 
ビジネスとして成功させねばならないアポロと彼の側近達は「一流同士の決戦」から、「無名の選手にチャンスを与える感傷的なドラマ仕立ての興行」にシフトチェンジする。

 


その無名の選手として、ロッキーに白羽の矢が立ったのだ。
 
ロッキーの「イタリアの種馬」と言う珍奇なニックネームを、アポロが気に入った為の選出だったが、チャンピオンは君の試合を見て選んだんだよと嘘こいたプロモーターの話を素直に聴いたロッキーは、一旦は分不相応と断るが、引き受けてみることにする。
 
ロッキー本人と、そっと寄り添って見守るエイドリアンをよそに、 普段勝った時のざっと2300倍と言う、これまでとは桁違いな額のファイトマネーにはしゃぐ皆の衆。
 

大概が祝って応援してくれるだけだが、割と身近に変なのが出て来る。
 
アテにして繫がり、上前をはねようとするジムの経営者ミッキー。
ダシにして銭を稼ごうとする、恋人の兄でもある友人ポーリー。

 


ミッキーなど、素質を無駄にしていることに苛ついたとは言え、ロッキーを冷遇ゴロツキ呼ばわりしたのに、これではどちらがゴロツキか分かったものではない。
 
二人ともロッキーにガチで怒られてシュンとする。
ところが、ロッキーは自身の意見をはっきり表明した後、彼らのことも決して見捨てない
 
ロッキーの強さは、そこに有るのだと気づいた。
 
通常、「変わらねば」と意志した場合、不要と感じたものは断罪し排除する
 
しかしロッキーは自身の限界を突破しながら、その変化の過程で登場する一切合切を飲み込んで、大きくなって行く

 


ベタベタはしない。
だが、我欲の混ざった行動を取る者も否定せず、好きにさせておく。
 
それじゃあ「人間関係を整理」出来ないじゃないと思われた方、ご安心を。
 
ロッキーが飲み込んでいるのは、彼にとっての弥栄の道であるボクシングと向き合う中で、現われた存在達である。
横道にまで手を伸ばして誰も彼も、と言う訳ではない。
 
まず、進化変容はっきりと意志する
その上で現われる存在は、裁かずに丸ごと飲み込んで、それによって大きくなると言うこと。
 

 

ミッキーもポーリーもロッキーの全力発揮を、邪魔しようとはしていない
していないが、生き甲斐や小銭は欲しいから変な動きもする。それだけである。
 
二人は絶妙な愚かさや悲哀を発揮し、そんな彼らを裁かないロッキーの姿と相まって、映画の内容を一層深いものにしている。
 
主にうっかり八兵衛ポジションで鳴らしている友人ポーリーは、エイドリアンとの関係でも破壊的アシストを決める。
 
本日記事でお伝えする最初の重要ポイント
 
善なるもの優しいもの美しいものだけが、不覚からの進化変容を後押しする訳ではない。


と、言うこと。
 
不覚から覚への変容では、相当の情報がごった返す
 
そこでは、すっきり片付いた世界となってからでは逆に到底成し得ない、一見するとな動きが弥栄の支えとなったりするのだ。
 
不覚バリバリの端末達をも、「只、それがそれである」として観察すると、あらゆるモノコトの運びは最もスムーズになり、しかも繁栄する。
 
この作品でもそれが起きる。

 


ロッキーとアポロ。
人種も境遇も性格もまるで違う二人だが、宮司が発見した最も対照的に感じる点が、
 
ロッキーは話を聴く
アポロは聴かない
 
と言う所。
 
理解がゆっくりでも、メモを取りながらでも、コケにされながらでも、ロッキーは相手の話をちゃんと聴く
 
アポロは頭の回転が早く、社交的で計算高くて器用だが、彼は彼の「聴きたいことしか聴かない」
 


聴ける聴けないは、即、消化出来る出来ないに繫がる。

 

本日の重要ポイント二つ目である。
 
突然の指名から、ロッキーにとって消化が必要な事態が山の様に増え、それが怒濤の如く押し寄せて来た。
 
数週間でロッキーの存在が、アポロをも飲み込みかねない巨大な渦となったのは、消化力の発揮が彼を成長させたから。
それが、両者の距離を縮めた。
 
映画を観たことがない者でも知っていた、あまりにも有名なロッキーのテーマ

 


正式なタイトルは『Gonna Fly Now』。
 
Gonna fly now
Trying hard now
It's so hard now
Trying hard now
(略)
Getting strong now
Won't be long now
Getting strong now

Gonna fly now
Flying high now


Gonna fly fly...

 


惜しみなく地を駆け己を鍛え磨き抜かなければ、天駆けることなど出来はしないことを、この曲は教えてくれる。
 
鍛えると言うのは、目を逸らさず己に向き合い必要と分かったものをやり抜くことである。
 
ロッキーにとっては、たまたまそれがボクシングの為に体を鍛えることであっただけで、向き合う必要があることや成す必要があることは、端末ごとに違って来る。
 
単に体をめつけて我慢を重ねたら全プレなどと、進化変容そんな雑なシステムで回っていない
 
まず向き合うこと。

 


 その為には、過去未来に目移りせずに集中することが求められる。
 
この曲も、ご覧の通りnowのオンパレード。
ロッキーの意識は、常にに在るのだ。
 
本日最後の重要ポイントが、
 
ロッキーは絶対に勝つとも負けるに決まっているとも、判断していない。

 

 

と、言うこと。
 
アポロは、次の興行や、次の相手、次の節税等、色んな「次」を引っ切りなしに側近達と相談している。
 
チャンピオンであることは彼にとって当然であり、ロッキーはチャンピオンロードを行く中で出会った路傍の石程度の存在。
 
そのロッキーにとって、確かにアポロは凄いチャンピオン。
でも、チャンピオンなだけで、それ以上でもそれ以下でもない。只、それがそれであるだけだ。
 
んだりんだりしていないし、「倒すべき獲物」にもしていない。

 

 
確かにロッキーも一旦は、チャンピオンになんて勝てないと感じて不安になる。

 

だが、エイドリアンに寄り添われながら自らと向き合い、やがて中立な答えを導き出す。

 

彼に必要なのは、

  
最終15ラウンドが終わっても、倒れずに、リングに立っていること。
 
凄いときっちり認められつつ、こうなるともうアポロはロッキーの眼中にない。
派手な書き割りみたいなものである。
 
ロッキーは、その奥を観る。
 
己の落とし前を付ける為。
 
最後まで立って居られたら、自分はゴロツキじゃないと証明出来る。
その(あかし)をたてる為に、リングに上がるのだ。

 


この作品を今回初めて観た宮司が、ビックリしたのが、
 
ロッキーは試合に勝ってはいない。
 
そんなの常識ですよと逆に驚かれる方も居るかも知れないが、全体は観ていなくともラストの名場面は知っていたので「あんだけ喜んでるし、そりゃ勝ったんでしょう」と勘違いしていた。
 
目が覚めていない者は、得になる結果しか喜ばないからだ。
 
だが、ロッキーは「戦い抜いた」ことに歓喜していた。
 

顔すごいけど喜んでいる。
  
判定負けはしたが、ロッキーは、自身に突きつけた「最後まで立って居られるか?」の問いには、その足で証を示した
 
つの本来は、つ。
内側の活力が、行動の活躍となり、結果として勝つことが発生する。
 
次作で「あれはロッキーの勝ちだったぜ」的な世論が湧いて出て、ヤキモキしたアポロ側が再戦を迫るのも、自然な流れなのだ。
 
不遇に慣れて時を過ごし、自らをクズ呼ばわりしていたロッキーは、リングでの昇華を経て、まさに「復活再生」した。
 
それは、未来への傾いたオーダーなど一切交えない、に立脚した闘いがもたらしたものである。
  

0に立つ時、1となる。

(2018/6/21)