あけまして

おめでとう

ございます。

 

本年一球目、参ります。

 

《高砂や》

 

明けてめでたいお正月


清々しく言祝ぐ様子が新春に相応しい、能の名作『高砂』

先日、何でか「高砂や〜」と上から聴こえ、良く分からないまま調べた所、この作品が人型生命体の進化変容を描いたものであることが分かったので本日の記事にてご報告申し上げる。


当の世阿弥すら知っていたかどうか分からないが、本気の創作神が宿るのはいつものこと。

 

『高砂』の主人公は前半が松の精、後半が住吉明神
どちらも人ではなく、超自然的存在が謡と舞で寿(ことほ)かたちで世を祝福する内容となっている。

 

阿蘇の宮の神主が、都を目指す旅の途中で立ち寄った播州(ばんしゅう)高砂の浦。


 そこに熊手を持った翁と、箒を持った(おうな)が現れて、木陰の塵を掃き始める。


二人と言葉を交わしながら神主は、高砂と住吉(すみのえ)という離れた場所に在っても仲睦まじい夫婦で居られると不思議なことを言うこの夫婦が、実は相生(あいおい)の松の精であることを知る。

 

夫婦は「住吉で待っている」と神主に告げて小舟に乗って漕ぎ出す。
それを追いかけて神主達一行も高砂の浦から住吉に船でやって来る。

 

一行を出迎えたのは若い神の姿となった主人公。

神主達の前で颯爽と神舞を披露しつつ、寿福(じゅふく)を述べる。

 

ざっとあらすじを申し上げたが、面白いのは松の精である時はの姿、住吉に着けば単体の神に変わっている点である。

 

 

相生の松の精である、翁が持つのがモノを掻き込んで集める熊手、媼が持つのがモノを掃き出して無くす箒であるのも象徴的と言える。
 ギューッと集める(+)熊手の翁と、集まったものをバサーッと払う(−)箒の媼は、それぞれが統合前の男性性(+1)女性性(−1)を表している。

 

世阿弥が能にする前の元ネタ古今和歌集では、「翁と媼」ではなく「(じょう)(うば)」と書かれていた。


姥は女へんに老。

尉は老爺(ろうや)の意味を持つのは後になってからで、字の成り立ちを見ると元の意味は「火熨斗(ひのし)(昔のアイロン)」である。

 

火熨斗。中に熱源を入れて、温める。


そのことを知った時「あ!」と一気に気づきが来た。

 

全母の原初の創造で、あらゆるモノコトは既に織り込み済み、“皺のある女”とはその織り込みまくりの全母(虚空)を表す。
その皺を伸ばす=描かれた柄(モノコト)をあらわにするのは火熨斗の役割。

 

熊手と箒も対。

皺と火熨斗も対。


その対極の存在が同じ船に乗って海中(変化の領域)に漕ぎ出す。

 

追いかける神主一行は、変容の観察者であり解説者の役割も果たしている。

 

対のものである男性性と女性性が、住吉に着く。
でもでもあるだろう。そこに良しに繫がるの字が来る。

 

言ってみりゃエデン。 

 

分離状態の体験を全うして「済」ませ、高次の状態にまで「澄」み渡り、永久(とこしえ)に「住」むに良い至福の境地に達した時、内なる男性性と女性性が完全に統合される。


そうして初めて人型生命体は本来の姿である、見えざる全母の対となる物理次元の主『全父(ぜんぷ)』となる。

 


この全父の象徴である為、住吉明神は男性の姿で表されているのだ。
暗の極みである全母の対である存在として、「明神」であるのも見事だと思う。

 

そうして常若の完全体となった歓び新世界の祝福を重ね、で世を寿ぐ。

 

変容について何も知らずに書いたのなら世阿弥は相当なチャネラーだったと感じる。
プロには芸事、アマにはお金のかかる習い事として、四方八方から権威に埋め立てられた感のある能だが、こうして中立に観察すると、真理を多分に含んだ内容に唸らせられる。

 

高砂とは、「砂」と表現された無数の粒が、全母の歓びの「高まり」によって一気に放たれた状態。

 

即ち、ビッグバンである。

 


放たれただけの砂達が統合によって、物理次元においての全母そのものの現れ、全父となる。

「高砂や〜」が結婚式の時に定番の祝言歌であるのも納得出来る。

 

あらゆる色彩は明度が高まると白になり、逆に低まると黒になる。


白無垢と黒紋付の一対は明度によって分たれた本来同じものである白黒を表し、それはそれで意義深いが、黒(簡易版では白もある)紋付と色打掛のセットも又、深い意味を持っている。

 

黒も白も全てを含んだ無の象徴であり、そこにハラの丸ポチひとつで、具現化が始まる様子を描いている。
何も無いここから全てを生むぞという、男性性の意気込みを表したものが婿の羽織。


そして嫁の色打掛は絢爛豪華な具現化を達成した後、ここから惜しみなく全てを虚空に還すぞという、女性性の意気込みを表したものである。

 

これは既に世で知られていることだが、白無垢も又「血の通っていない死の状態」を表し、今までの自分を一旦無に帰してまっさらな状態で嫁するという決意の象徴。

 

 

「無の白無垢→色打掛」で既に「レッツゴー生まれ変わり」を示している。

 

単体で、夫婦で、幾重にも生滅を表す祝祭が結婚式なのだ。

 

生むことと滅すること、どちらも惜しみなく為すこと。
それが真の統合と、婚礼衣装も高砂も教えてくれている。

 

 

+1(陽・男性性)−1(陰・女性性)を統合し、

 

あらゆるものを生みなす0(全母)として目覚め、

 

生みなされるあらゆるものである±1(全父)として体験すること。

 

これが完全変容であり、新世界を生きる者達にとって最初の大仕事

 

本年も、この大仕事の手伝いに全力投球で尽くして行く。

 

さあ、景気良く行こう。

(2017/1/2)