又もや長くなりました。

 

あいすみませんが、お月見の合間にでもご覧下さい。

 

木曜記事はあっさりと仕上げます。

 

では記事へ。

 

《酒と泪と男と女》

 

昭和の終わり頃までだろうか。

 

男は男らしく。
女は女らしく。

そんな概念が、締め付けだけでなく美学として通用した時代があった。

当時のノリが好きな方は「古き良き」とか言って、偲んだりする。

 


表題の曲も、その時代にヒットした。
 
時折、から響いていたのだが、「ああ、“古き良き”不覚Songだね」となるばかりで、さっぱり意味が分からない。

やり切れない思い晴らし方を、外形の性別で分けたりしたら、差別に敏感な昨今。

「女の方が偉く思えて来たとか(てい)よく持ち上げて、自分らだけちゃっかり憂さ晴らし。
で、女は泣いとけ?ふざけんな!」


とか、女性方に叱られそうである。

大体、女性の人型生命体にも「飲んべえ」は居るし、男性型にも「下戸」は居る。

 

飲まない男性方にも叱られそうである。

 


英五システムは、男や女の中でも極めてピンポイントの「そう言うノリ好き」な面々にしか機能しない。
音楽としては美しいが。

鳴らされる度に「ふーむ」となるのを繰り返し、ある時不意に気がついた。

男や女の、端末のことと認識していたから、読み解けなかったのだ。


“忘れてしまいたい事や
どうしようもない寂しさに
包まれた時に男は
酒を飲むのでしょう”

 

この「酒」は、アルコール成分を含んだ飲料に留まらず、酔わせるもの全てを象徴している。


ショッピングで物欲を満たすこと。


仮想世界で快楽や達成感を貪ること。

 

恋愛で所有欲や色欲を満たすこと。

 

出世の為に仕事や世渡りを頑張ること。

何だって結構だが、意識がそこに傾いたままでひたすら耽溺すると、それは「酒に溺れるのと同じこと」になる。

多くの者がそうやってひと時の鬱憤晴らすことにエネルギーを使い果たし、不覚の混迷に落ちて行く。

 


“やがて男は静かに寝むるのでしょう”


人間の男について描きながら、その奥では、不覚状態にある分割意識の姿が歌われている。

「どうしようもない寂しさ」は、全母から離れた、宙ぶらりん状態の不安さから来る。


この寂しさが、女では「悲しさ」に変化する。

 


“忘れてしまいたい事や
どうしようもない悲しさに
包まれた時に 女は
泪見せるのでしょう”

女房である御神体は、一体何を悲しむのか。
旦那である分割意識の無理解だろうか。


“彼”自己憐憫ばかり繰り返し、ちっとも双方の関係を省みない。

「言えないこと」として、格好よく引き受けた感じで居るが、結局女が泣いてるのを知っていても「偉い。ボクには無理、強いなあ」と、まるで坊やな感想である。

“泣いて泣いて 一人泣いて
泣きつかれて寝むるまで泣いて”

一体、何にこれ程涙するのか。

 


問いかけて答が来て、思わず黙った。

女である御神体は、男である分割意識どれ程自分勝手であろうとも、やはり“彼”が、

苦しんでいることに、泣いている。

“又ひとつ
女の方が偉く思えて来た

又ひとつ
男のずるさが見えて来た”

全くだ。


只の坊やでなく、ズル坊やである。


“俺は男 泣きとおすなんて出来ないよ

今夜も酒をあおって 寝むってしまうのさ”

不覚ならではの動きは、既にこの曲でやるせなくも美しく昇華され、やり切られた。

 

略しすぎて「酒と女」になってるジャケット。


 変な言い方だがあの時代にこの曲で、「やり切れなさを、やり切った」のだ。

2018でも未だその姿を踏襲し、不器用な時代遅れの男として、(だんま)りを決め込むのか、それとも「どうしようもない寂しさ」が何処から来るのかを辿り、その先にあるものに目を逸らさずに向き合うのか。

岐路に立つ変容の時代の“男達”

 


酔いについては、滅多に開かない左側で、一度徹底的に申し上げている。

それなのに何故、本日の記事として改めて「酔うこと」を扱ったのか。
 
曲について読み解けた後に、それも明らかになった。


これから更に、大々的に、えげつなく、意識を強く酔わせるものが出回る。


不穏な気配が怖すぎて、素面じゃとても向き合えないと、へたれた意識達が酔い欲しがる

そこに付け込んで荒稼ぎしようと、酔潰すアイテムを用意して、エネルギーをかき集める者達も出て来る。

皆様に直接関係がなくとも、皆様の目にする端末にそうした酔いどれが出て来たりもする。

半ばまで意識が明晰なっている分、彼らの酔いが目に付き、つい構いたくなるかも知れないが、今一度申し上げる。

 


そんな暇があったら、ご自身の意識を更に澄ますことだ。

それ以上に彼らに貢献する道はない。

 

ここを確認する為の本日記事である。

外から得るものは何であれ、全てを満たしはしない

 

 

伴侶である御神体から今も切々と流れる涙に見合う程、痛みを忘れる為の酔いは、重要だろうか?

 

全てのやり切れなさに対する答が、絶えることなく、意識の中核に在るのだ。

それを分かることが、分からないを、やり切った歌と時代への、真の供養となる。

 

古き男女を昇華する神。

(2018/9/24)