《解放の調(しら)べ》

 

宮司は不覚時代から、ドラマでも映画でもハッピーエンドじゃない恋愛モノにおよそ興味がない。

不幸どうこうと言うより、ノリが重いとすぐに飽きてしまう。


まずもって観ること自体少ないし、途中で寝たり止めたりせずに最後まで観ることが出来たのは『タイタニック』だけである。

 

これにも訳があり、丁度その時

 

首から背中から全身のあちこちを寝違える

 

というある意味器用なアクシデントに見舞われており、出来ることと言ったらファラオ的な姿勢でじっとしている位。

 

ちょっと動いただけで激痛に襲われる為に

 

痛みで寝れずに観た

 

というだけのことである。

 

痛み眠気に挟まれて朦朧としながら、ヒロインのたっぷりとした二の腕を見て

 

「痩せっぽちの男より、この(たくま)しい女を沈めた方が、案外二人とも助かったのでは…?」

 

と、感じたことを覚えている。

 

不覚時代からこんな調子である為、2月の企画に相応(ふさわ)しい題材がないかとオーダーしておきながら、から『Unchained Melody』が流れて来た時には、

 

「ええ〜っ!あの、面白いことひとっつも言わなそうな二人がろくろグルグル回す映画〜!?!」

 

と心底からのガッカリを表明した。

 

だが、他に無いのかと憤慨する宮司の反応をよそに上は繰り返し「Oh〜My love」と、やって来る。
頭に来たが、曲自体には奥底に沁み入るものも感じるので、

 

「じゃあ、取りあえず曲だけは」

 

と、歌詞の内容を確認し、その深いメッセージに感動した。

そして、この曲の成り立ちについても調べ、更に納得し、全一の運びに心底感嘆した。

 

あっという間に態度を改め、有り難く『ろくろグルグル』もとい『ゴースト/ニューヨークの幻』を視聴したのである。

 

 

超有名作品なので、ご覧になったことのある方も居られるだろうが、一応ストーリーをご説明すると

 

相思相愛の恋人と同棲を始め、仕事も順調。そんな主人公が、幸せ過ぎてこれがいつまで続くかと不安になる


やがて恐れは現実化し、ある晩彼は暴漢に襲われ恋人の前で殺される

 

霊体となった彼は様々な“同業者”に出会い、霊に出来ることと出来ないことを理解し始める。

 

彼との接触で霊能力が呼び起こされた元犯罪者で元インチキ霊媒師の女の力も借りて、自分を殺した男の真の目的と、それを操っていた首謀者を知った彼は、恋人に危険が迫っていることも知り、彼女を守るべく奔走する。

 

こんな感じのお話。

 

「見えないもの」「見えるもの」コンタクトを取る難しさを散りばめながら、生と死、善と悪、男と女、貧と富など、様々な隔たりと交差を描いている。

 

大変セクシーなシーンとして名高い「ろくろグルグル」だが、それは泥がベチョっとしていたり、男女が密着していたりするだけでなく、ろくろが回転「作っているのが壷ないし(かめ)だからである。

 

平らかな場所の回転は螺旋の動きを生み、クンダリニーの上昇を促す。

そして、にこそ性を超えた生そのもののエクスタシーが在る。

 

壷や甕という空間を内包する存在」を回転によって男と女が作ろうとするとは、矛で掻き回し型のイザナギイザナミに通ずるセクシー。

 
只、雰囲気がエロに傾き過ぎた為、途中でへちゃまがり、結局は仕上がらなかった。

その後の別れを暗示するかのようだ。 

 

そんなろくろタイムにも流れ、恋人と「また会おう」と言い交わしながら主人公が光の中を去って行くシーンで再び流れる『Unchained Melody』

 

実はこれ、ある意味ハッピーエンディングなのだ。

 

『Unchained Melody』

Oh my love
(ああ、僕の愛しい人)
my darling
(僕の最愛の人)
I've hungered for your touch
(君の感触に焦がれているんだ)

a long lonely time
(ずっと一人ぼっちで)


and time goes by so slowly
(時はゆっくりと過ぎて行き)
and time can do so much
(そして多くを成し遂げる)
are you still mine ?
(君はまだ僕のもの?)

 
I need your love
I need your love
(君の愛が必要なんだ)
Godspeed your love to me
(君の愛を僕に向けてくれますように)

 

Lonely rivers flow to the sea, to the sea
(孤独な川はそれぞれ海へ海へと流れて行く)
to the open arms of the sea
(海のひらく腕に抱かれに)
lonely rivers sigh " Wait for me , wait for me"
(孤独な川は「僕を待ってて、僕を待ってて」と囁く)
I'll be coming home wait for me
(僕は僕を待っていてくれる家へと帰るんだ)

 


 途中で、ガラッと変わる。
「何で急に川?」と思うが、これが最も重要な箇所。

 

人型生命体は「和合&復活再生」のシステムを開花させることがなければ、やがて他の生命体と同様にそのかたちを「脱ぐ」。


中のいのちは川となって流れ、やがて全母の元へ還る入り口、海に着く。

日本ではお馴染みの、サクナダリシステムである。

 

行き着くのが天国ではなく海であるところに、この曲の(まこと)がある。

 

実はこの曲、元々は『ゴースト』が製作される数十年前に、全く別の映画『アンチェインド』の主題歌として誕生している。

 

 

映画はヒットしなかったが、曲そのものには人気が出て、多くのミュージシャンにカバーされた。
その中の一つを『ゴースト』の製作スタッフが監督に聴かせ、気に入られてGOが出たと言う経緯。

 

幾つもの時と幾人もの力を得て、我知らず為されるものには全母の天意が溢れる。

 

『アンチェインド』は、刑務所を舞台にした映画。

アンチェインド、つまり自由になって、愛する人の元に帰りたいという主人公の願い、それを託した“解放の調べ”『Unchained Melody』だったのだ。

 

だが刑務所からの解放を超えて、この曲には根源的な解放全一への帰還が描かれている。

 

だから今日まで、ふとした拍子に思い出されたりして生き続けている。

 

 

孤独な川、という表現がある。

全一に帰さない限りこの孤独が止むことはない。

 

川は「僕を待ってて」と歌うが、「僕」という幻想を手放した後に、待っててと願ったものが実は、常に片時も離れていなかったことが分かるのだ。

 

『ゴースト』の主人公の“帰還”は、不覚全盛期にあってはベストを尽くしたハッピーエンドと言える。

 

歌詞の前半にあるように、飢え(“hunger”)たり、愛を向けて欲しがったりでは当然、復活再生とはならない。


けれど、愛する人を「守る」という不覚アプローチであったにしても、自らが真っ当だと感じたことをする為に、彼は霊として出来ること、「死んじゃったら死んじゃったなりに出来ること」を見つけ出して、それを全うした

 

 

なかなか出来ることではない。


しかも終わりに際して納得し、未練を断ち切って自ら還って行く

 

内側は悟っていたんじゃないのかと思えるような、「不覚の中の覚」の見本のような人物。
覚と不覚の間をメソメソと行ったり来たりしている者達より、こういう方にこそ拍手喝采したい。

 

これから覚者の時代に移行するにつれて、『ゴースト』のような物語を単なるロマンチックな悲劇としてではなく「あぁ、これがあったから今があるよね」と、より味わい深く感謝と共に観ることが出来るのである。

天意の空間に、愛の帰還。

 

(2017/2/16)