《神宿る人》

 

 人が全霊で表現する時、無意識にその源を求め、虚空との邂逅を果たすことがある。

 

 本日ご紹介する先輩は、後世に名を残してはいるがあまりその姿を伝えられていない。

 

 江戸時代後期に、只野真葛(ただのまくず)という名で著述家として活動した女性が居た。

 


  真葛は築地の富裕な医者の家に生まれ、9歳で「女の本」(女性の手本)となることを志した後、衰退する生家とともに数奇な運命を辿り、みちのくで没している。

 

 実業家・文化人・社交家であった父や祖父の元、文人墨客から芸能者まで人が盛んに行き来する特異な環境と、母方もまた学問や芸術を尊ぶ才人の家系だったこともあり、父系母系両方の流れに支えられた大変恵まれた中で彼女の教養は培われた。

 

 その生涯を掘り下げても面白いがとんでもなく長くなるし、今回の記事でお知らせしたいのはそこではない。

 

 この人物について、当神宮で記事としてご報告申し上げるのは、再嫁した先の仙台で記した代表作『独考(ひとりかんがへ)』の中に、自身が覚醒の一瞥体験した様子が書き記されているからである。

 

 『独考』によれば、もの書きにふさわしい人格を形成していくための修行として、みずから独り心をせめつづけたのち、心がふと抜け上がって地を離れるような感覚をおぼえ、そのとき「物のきわまりが一度にわかった」と直感する体験をした。

 


 以来、心の進退が自由になって、解き放たれたという。

 

 この体験を真葛は、仲の良かった弟に書簡で伝え、それは仏教で言う“悟り”ではないかとの返信を受け、大変喜んでいる。

 彼女が13歳の頃、母方の祖母が方丈(住職)の導きで悟りをひらいたと聞き、自分もそうなりたいと家族に話したそうなので、その頃からの願望が達せられたと感じたのではないだろうか。

 

 と言っても、この体験で彼女がまるっと全一化した訳でもないようで、その仲の良かった弟や妹、敬愛する父や夫にも皆先立たれ、一人生きることのむなしさからいつしか自らの死を切に願うまでになって行く。

 

 そんな時に、再び真葛は不思議な体験をする。


 秋の夜に一人、むなしさを思いながら床に着いていると、どこからともなくが聴こえたと言うのだ。

 

 

秋の夜の長きためしと引く葛の

 

 その上の句にどういった下の句を付けるかが、自己の生涯を占う重大事になると直感した真葛は、目覚め際に句の終わりを思いつき、起きてからまとめ上げてこう詠んだ。

 

たえぬかずらは世々に栄えん

 

 その後もう一度、不動尊に籠った時に

 

光ある身こそくるしき思ひなれ

 

 のを聞き、

 

世にあらはれん時を待つ間は

 

 という、グッドセンスなを合わせ完成させている。

 

 このように、と句のやり取りまで交わせる人材は江戸にも居たのである。


 魂の乾きがある時、時代や環境に関わり無く、を通じて虚空の天意が発揮される。

 但し、受けたものを全一に帰するまで腑に落とせるかどうかはやはり時代や環境が関わって来る。

 

 只野真葛は先の二つの句に励まされて一念発起し、亡くした愛する者たちの名を残し自身の生きた証ともなる事を願って、曲亭馬琴に『独考』含む自身の著作の校正と出版を依頼した。出版は生前には叶わなかったが、当神宮ではそのあたりは特に注目していない。

 

 それより重要なのは、覚醒の一瞥体験した真葛だが、家や自己等、部分の名を重んじた時に万物一体愛の感覚は遠のき、個を超える進化の機会を手放すこととなったという点である。

 

一瞥でなく丸ごと帰すること。
 でなければ本当の進化変容は為せない

 

 それをこの先輩は身を以て記してくれたのだ。感謝したい。

 

 先輩の時代に、個を超える進化には達しなかったのもそれほど不思議なことではない。

 今よりずっと女が(結局は男も)「思ったように生きること」に対し、それを封じ込めるデータがバンバン飛んでた時代である。

 

 ピンと来ない方に補足すると、真葛が没したのが文政8年で、ちょうど同じ年に雷電為右衛門が世を去っている。

わかったようなわからないような。


 そんな雷電世代の彼女。一人、厳しい自然の山とかで仙女となって暮らすならあれだが、士農工商がっつりの中で世人にまみれてほぼノーヒント。
 覚醒の一瞥を感覚として捉えた作品を書き記しただけでも、拍手喝采じゃないだろうか。

 

 自分の抱えた問いが「一体何に対する、何という問いなのか」さえ、分からない。


そりゃ、悶々としますでしょうよ。

 

 だが、いつの時代にもその問いを抱えた者が居て、彼らの気づきや目覚めが少しずつ霧を晴らした場所に2016の端末達は立って居る。
 途方もなく面白い分岐点に発生した我々なのだ。

 

http://blog.livedoor.jp/misemono/archives/cat_50048758.html

文政二年の猿芝居(猩々の見世物)

 

 只野真葛は万物一体愛の感覚を得た覚醒の一瞥を含め、当時の状況下で可能な限り変容へ向け体験の駒を進めたと思う。
 彼女のように歴史に名の残る立場でなくとも、そうして駒を進めた者は様々な時代に無数に居る。
 
 彼らの本気がさらなる本気に橋渡しをし続けてくれた、いつかの誰かの見た夢の先に我々は立って居る。

 その意味が分かっている者なら、過去頼みで過去を汚すような真似は出来はしないだろう。


 本気には本気で、感謝が出来るはず。

 

 全てを統合し先に進むことが、只野真葛を含む多くの先輩たちに対する真の感謝になるのだ。

 

神宿る人もまた神。

(2016/9/8)