《神の器》

 

 当神宮にご参拝下さっている方のお一人と、先日旅先で久方ぶりにお会いした。

 

 その節は誠に。 

 

 その時受けたご質問があった。

 

「以前恵比寿について次回書く、と言われてそのままになっている所がありますよね、あれは(どうなったのでしょうか)」

 

 

ん?

 

 さっぱり思い出せない。

 

 帰って全ての記事を確認してみたが、恵比寿について書くと言った箇所は見当たらなかった。

 

 ひょっとするとアマテラスについて書いたつもりの「とりあえずビールくらい有名な神さん」のところで「エビスビール」を連想されたのかも知れない。
 と、半分くらい思っている。

 

 が、もう半分で分かってもいる。

 

あいつらは、こういうことしてくるのだと。

 その方は後から「恵比寿大黒」とも仰られたのだ。

 二神で結託したな。

 冴えた方のチャネルを使って、凡神宮を神物化(しぶつか)しやがって。

 

 結構。では、お望み通り彼らについて書くとする。

 

 えびす、と言うと恵比寿や恵美須、間を取って恵比須と書くのが一般的だろうか。
 全く違う印象になるが蛭子や夷子とも書く。

 

 だが、一文字であらわすことも出来る。

 




 

 これみんな、えびす。

 

 元々これらは


東夷(とうい)
西戎(せいじゅう)
南蛮(なんばん)
北狄(ほくてき)

 

 と使用される。

 

 中華思想の「我等こそ世界の中心」という考え方によって、その「外」とされる四方の野蛮人にあてられる字であった。


 野蛮人、とは罵る者の側から見た姿であって、実際の所は単なる「管轄外の余所者」である。

「えびす様だけ日本古来の神で、他は外神(ガイジン)」なんて聞くが、実際の所、結構な広範囲での余所者認定

 

 この4文字の他にも胡麻とかに使われる「胡」という字もえびすと読む。

 胡は戎と同様に、中央アジアに住む異民族を表すという。

 

 中央アジアの異民族に白い肌の種族が居た為か、にはという意味もある。

 ここからの表記はとりあえずビールの「恵比寿」で統一してみるが、何かと大黒とセットになって登場する恵比寿に白はぴったり来る。

 

 大黒は元々シヴァ神の化身マハーカーラとして誕生した、死の色合い濃いヒンドゥー教の神である。

一気におだやかじゃない感じに。 


 それが長い旅路を経て日本で大国主命と習合し、現在の「日本のサンタさん」みたいな面白おじさんスタイルに落ち着いている。

 

 ルックスはサンタに寄って来たが、大国主にも根の国(冥界)下りの段がある通り、大黒と死は切っても切れない間柄のようである。
 それでなくとも縦横無尽に各地を旅して周り、死の国からの帰還も果たした大黒。


 一方恵比寿も、ヒルコとして海という異界に旅立ち、エビスとなって甦った
 蛭子の二文字に、ヒルコとエビスと両方の読みを当てるのはその為だ。

 

 今でこそ仲良く一緒に宝船に乗っているが元々は、大国主でもある大黒は主に陸、恵比寿は海を担当している。

 

出典:小樽市総合博物館

  海からやって来たちっちゃな神、スクナヒコナは恵比寿であると言われている。
 少彦名(スクナヒコナ)は大黒の大に対して小を受け持つ。やはりここでも対になっている。

 

 恵比寿大黒という、この2つのつかず離れずの存在に意識を向けていて、ふと気づいた。

  ホツマの「ア」は、白丸に黒い「・」が入る。

 これは「日」という文字を甲骨文字や金文であらわしたものにもよく似た、太陽の象形である。


 大黒とはこの白丸の中の黒点、ゼロポイント、中心点のことだ。

 中心の虚空へつながる点だから実際は、最「大」の「黒」点なのだ。  

 

 そして恵比寿とは、大黒というポイントから発生する光の粒
 最少の粒子だから、スクナヒコナという不思議な形容の神として現された。

 

 中心の点から放たれてあらゆるかたちのアウトラインとなる(我々の中身は虚空)ので、中央でない常に外側の存在である。
 余所者を様々な字をあててエビスと呼んだことの、無意識領域での理由(深層・真相)である。

 

 ここから分かることがある。

 

虚空の中心点(大黒)

以外は、

みんな外(恵比寿)

 

 本来はどこかの国だけが中心なんてことは一切なく、全てが中心から放たれた光である。

 

 大黒の子供が恵比寿であり二神は親子、という説がある。
 以前は珍説だと思っていたが、中心点と粒子を表した存在であれば納得出来る話だ。

 

 大黒の持つ袋とは何か。


 これは、おふくろ(全母)である虚空の象徴。

 虚空を内包したものを担ぐ大黒は、そのものがブラックホールの化身でもある。

 

 ちなみに七福神の中では布袋和尚も袋を持っている。

 呼び名からして布の袋であり、こちらもおふくろ(全母・虚空)を象徴する。
 そして恵比寿の魚籠中空であり、七神中三神が何らかの器を携えているのは面白い。

 

 何と、布袋にも「死んだ後甦った」という伝承がある。


 甦り

 

 三神に通じるこの特徴は、虚空から万物発生と入滅を繰り返していることを表している。

 

 大黒や恵比寿、布袋のように毎瞬きっちり死んで甦れば、常に新鮮な存在として物理次元を舞うことが出来るのだ。

 

 七福神の中でも恵比寿と大黒とは、わりかし古い付き合いである。

 謎旅にも行ったし、結構な珍事にも遭遇した。

 

 当神宮の暖簾を、

 

「あいてる?」

 

 

 とくぐって、ちょいちょい来て酒飲んでくような存在である。

 

 この神宮をこしらえるきっかけとなった講座に参加する前、他に必要な方が居たら席を譲ろうとも思っていた。

 

 ある日、「(参加)どうしよっかなぁ〜」と何の気なしにひとり言が出た時、突然

 

いった(ら)ええやん(か) 

 と、笑福亭鶴瓶に似た声で聞こえたことがある。( )内は、ほぼ無音。

 

 この馴染みのない言葉に驚いた為、その場では「何処の神だ!」と返す位しか出来なかったが、恵比寿だろうことは何故だか分かった

 

 お陰さまでその講座にて、大変面白い経験をさせてもらったことを、この記事をお返しにしてチャラにしたい。

これで貸し借りなし。

(2016/7/14)