(まこと)(いろ)

 

旅行に持って行く物が、どうしたってスーツケースに入りきらない。

こんな体験をなさった方はおられるだろうか。

宮司も満杯を遥かに超えた容れ物を前に、腕組みをしている。

と言っても、満杯なのは「今年の祭でお伝えしようとしている題材」のことであり、スーツケースは「紙芝居に載せられる容量」にあたる。

 


「ふ〜。蓋してみてからの

ヒップアタックでも、

これ鍵閉まんないな」

と、ちょっと取り出した中に、当宮にてお伝えする方が丁度いいと感じるものを発見。

本日記事でご紹介申し上げることにする。

 


“そんなに悲しい目をして 落ち込まないで

 

あぁ 分かるわ こんなにも多くの人が居る世の中で

 

勇気を持つって 難しいよね”

『True Colors』は、80年代にヒットしたシンディー・ローパーの曲。

魔術に縁の深い端末は、月、夜、闇やら陰に傾くことが多い。

ところがシンディーは陽気かつ魔女っぽい。

 


静かな曲を歌っても変な陰りを帯びず、それなのに摩訶不思議で、あまり戦略的な匂いしない

目立つ存在プラス陽の気だと、「卑弥呼様」みたいに権威に傾きそうなのにそれもない。

一体どうなっているのだと首を捻るが、妙にバランスのとれた面白い存在となっている。


その理由は、彼女の根底にある素直さにある様に感じる。

素直でないと聴けないメッセージがあり、
素直でないと発せないメッセージがある。


彼女は、いい目を見せてくれる誰かではなく、この世の奥にある何かから、それを聴き、そして発する。

権威におもねらない巫女、とでも言えるだろうか。

だからこそ、重要な情報を歪めずに洗練させて、世に出したりも出来るのだ。

全部が全部ではないが、彼女の作品には個を超えた真実が宿るものが幾つかある。


その一つがこの『True Colors』である。

 


不覚の時代が長く続いて来たので、歌詞に出て来る「多くの人が居る世の中」は、そのまま多くのエゴが溢れる世の中でもある。

そうした中で、勇気を持つことはとても難しいと、彼女は歌う。

心の闇が、まるで自分をちっぽけな存在の様に感じさせるとも。

けれども、


“私には見えるわ 

あなたの本当の色が”

 

“それはとても素敵なの

まるで虹みたいに”

 

 

本当の色、真実の色は、
内側から輝いている、と歌うのだ。

 

その通り。

どれ程くすんだり濁ったりで、重く暗い色調になっていようとも、人型生命体本来の輝きはこの曲で歌われる様に「虹の色」だ。


そしてそれが完全に溶け合うと、真っ白な光を放つ。

 


物理次元に見える肉体と言う御神体が受け持つ色はであり、その赤(=(あか))と、7つ全部の御神体が調和してから発する白い光とが、更に溶け合うことで、薔薇色の気配が満ちる。

薔薇色の未来」と言う表現は、この状態を先取って感得したものだろう。

但し、未来はずっと未だ来ぬものなので、「こんなん薔薇色?」想像であれこれ塗ってても仕方がない。

薔薇色の現実こそが可能であり、自然だ。

 


ともあれ、薔薇色の前に虹色である。

レインボーカラーを同性愛の象徴として、そこからこの曲の内容をマイノリティーへの励ましに置き換えたりすることもあるらしい。

どう名乗っても励まし励まされても自由だが、全体一つの観点からすると、そうしたことにあまり意味はない。

虹を特定の誰か達が背負うことは出来ないし、薔薇も誰か一部の者の為にあるではないからである。

「少数派には居心地の悪い世間で立ち上がる為」だろうが、何かを誰かの「印」にすると、それは別の不自由を連れて来る。

 

 

『True Colors』を歌った者が支持をしても、それについては変わらない


そんな堂々巡りが終わるのが、変容の時代である。

元々この曲の歌詞は、作詞者の母親について書かれたものだそうだ。
シンディーは曲をよりシンプルなものに洗練し、完成させた。

母なるものへのアクセスが、真実情報を呼び起こした。

とすれば、納得のチャネリング結果と言える。

 


即是
即是

真実の色を観ることが出来るのは、虚空である全母
そして、全母性が開いた分神のみである。

分神となることは

色に在りながら
空を生きること

 


生けるとなることだ。

『True Colors』は、その素直さによって人型生命体、ひいては物理次元全体の持つ本来の美しさを語りかける愛の歌

お聴きになりながら皆様それぞれ、ご自身の真のに意識を向けてみられては如何だろうか。

 

真実こそ出色。

(2018/10/15)