又もや、えらく長い記事になりました。

 

誠にあいすみませんが、週末の手が空かれた折などに、いい塩梅にしてご覧下さい。

 

では記事へ。

 

《母のまなざし》


『秘密の花園』を書いたフランシス・ホジソン・バーネットの生涯を知るにつれ、起きた出来事の引き受け方と、書かれた作品の深まりが見せる連動に、成る程と頷いた。
 

 

これ程の物語を書く人物である。
そりゃ何かあるだろうとは感じていたが、予想以上だった。

先だって、ひょんなことから大至急ダ・ヴィンチの生涯を観察する必要が発生。

フルパワーで集中力のエンジンをかけようとしたところに、バーネットが転がり込んではさまった

予想だにしないことが続々と起こり、それが面白く味わえるので、目が覚めてから退屈はしない。

ダ・ヴィンチ同様にこの件も一朝一夕にはいかないので、時をかけ更に細かく読み解くことにする。

元々、『秘密の花園』は、年一回の祭の為に取っておいた重要なテーマなのだ。

 


 改めてじっくり読み解いておくので、お目にかかる機会のある方々は春以降、ご要望があればそこで解説する。

それ以外の方々に向けては本日記事を活用して、今の今読み解けている最も重要なことについて書かせて頂く。

と言う訳で、バーネットに話を戻す。

生家は父親が商売を傾かせて亡くなってからずっと貧しく、困窮する家を支える為に彼女は筆をとり18歳で作家となる。

 

結婚し母となって書くテーマも広がり、生涯を通じて数十編の大人の為の物語と、幾つかの子供の為の物語を書いた。

 


ベストセラーとなり、人々に今なお愛されるのは、「数十編」でなく「幾つか」の方である。

目が覚めてから『秘密の花園』を読み返し、これまで意識が行かなかった、精妙な部分に気がつく様になった。

そうしたものは不覚期には、ちょっと不可思議な部分、奇妙で面白い言い回しに過ぎなかった。
 
“おいらは長いあいだ小鳥たちといっしょにムアに住んどるけえね。

 

あの子たちが卵のからを破って出てきて、羽が生えそろって飛ぶ練習をして歌を歌いはじめるのをずっと見とるけん、おいらも小鳥かと思うぐらいじゃ。

 

ほんまに自分が小鳥か、キツネか、ウサギか、リスかと思うことがある、カブトムシかと思うことさえあるんよ。

 

ほんまに分からなくなるんじゃ。”

 


まるで小鳥と話が出来る様に見えるディコンに、メアリがそうなのかと尋ねた後、彼がしたこの返事。

全一感覚が開けて、誰にそうだと教えられなくとも、空間に溶け込んで生きている。

この物語は、バーネットの内なる全母性が開いていなければ、書かれることはなかったろう。

書きながらその時、彼女はメアリの母であり、コリンの母であり、マーサやディコン、他の兄弟姉妹の母であり、

 

 

ディコン達のおっ母さんの母であり、メドロックさんの母であり、ベン・ウェザスタッフの母であり、コリンの父クレイヴン氏の母であり、他のありとあらゆる登場人物の母であった。

人だけでなく、コマドリの母でもあったし、薔薇の母でもあったし、他のありとあらゆる動植物、風が吹き抜けるムアの母でもあった。

作家は、体験していない事柄を当事者よりも的確にそして深く描いてこその存在である。

 


 そうした表現力をバーネットも持っている。

その力に、実体験の力が合わさったらどうなるか。

『秘密の花園』が、これ程多くの人の胸をうつのは、作中の登場人物の喪失が、実在の作家の喪失に重ね合わされたものである為。

但し、鏡に映した様に、反転する喪失である。

 


 バーネットは男の子を二人産んだが、その内の一人を成人前に亡くしている。

メアリは両親を病で、コリンは母親を事故で亡くしている。

『秘密の花園』は子を亡くした母親が書いた、親を亡くした子達の物語。

反転するからこそ、単なる共感を超えた全一のがそこに満ちる。

 


子の喪失と言う出来事にわれたまま、

亡くした悲しみにわれたままで、

その立場を昇華して全一に溶けていなかったなら、

どうして真逆の、親を亡くした子の物語が書けただろうか。

 


物語の庭で登場人物がいきいきと自然に触れ合った様に、バーネットも又、現実世界で彼女のそこで過ごす時間を愛したと言う。

閉じれば消える紙の上の文字からも、実際に体験したこと歓びは溢れる。
 
歓びによって全母の天意彼女の母性呼応し、

 

天意からの愛が物語から湧き出し溢れて、読み手の元に届く

 


たとえ完全には目が覚めていなかったとしても、

極めて注意深く誠意を込めて世界を観察出来る者が、

己の創造力を全一の運びに向けて完全に明け渡す時、

書かれる物語には天意からの愛が満ちる。

そのことを、百年の時を経ても変わらぬ輝きと共に、バーネットと『秘密の花園』は教えてくれているのである。

 

愛で咲かぬ花はなし。

(2019/1/31)

1月のふろく 《一粒万倍帖》

 

 

一粒で万倍とは稲の繁栄を示し願うもの。

ですが実際、よく耕した土に蒔いた種は、陽の光と乾きを満たす雨があれば、それだけで何であれ繁栄するものです。

左側の淡い黄色の丸に、種として蒔きたい事柄を、宣言としてお書き下さい。

そして、陽を照らし水を注ぐ様に、育てて下さい。
 
最初に固定観念をスコップや鋤で掘り返し、意識の土壌をふかふかにするのをお忘れなく。

そうして育ったものについて、右側の薔薇色の丸に書き入れて祝うことで一粒万倍帖は完成します。

「種を蒔きたい、こんな種をあんな種を…」で止まることなしに、「蒔いて、どうなったか」を分かり易く観察出来る便利なアイテムです。

立春から少しずつ歩みを速める春の盛り上がりを、存分にお楽しみ下さい。