《愛の讃歌》

 

不覚のまま上に連れられてあっちゃこっちゃ旅をしていた頃に、大阪の或る神社に立ち寄ったことがある。

本殿に参拝するが、ちっとも集中出来ない。
すぐ側にあるスピーカーから、大音量で音楽が鳴らされていたからである。

「あなた〜の燃える手で〜 わたし〜を抱〜きしめて〜」

 

 

斬新な時報だったのだろうか。

 

二礼二拍手一礼の途中で「あれ…どこまでやったっけ?」となる位落ち着かず、「とんだクレイジー空間だなぁ」と呆れたが、万物に宿るいのちに敬意を払う神道のスタイルは、そのまま愛の讃歌と言えなくもない。

タイトルだけ見りゃ案外ナイスチョイスなのかも知れない。

この曲がシャンソンであることを除いては。

日本では越路吹雪はじめ様々な歌手にカバーされているエディット・ピアフの名曲『愛の讃歌』
原曲の歌詞を読み解くと、いっそ気持ち良い程ガッツリとエゴまみれで、完全に情動と愛をごっちゃにして居る。

訳詞はだいぶソフト。

だがこの曲が、情動を超えた領域で多くの人々の心に響く理由がある。

直訳では、

『青空が崩れ落ちてきても
もし太陽が空から落ちてきても

大地が崩れ去っても
もし海が突然干上がっても

あなた私を愛していれば 

どうでもいい
あなたが愛してくれるなら
本当に愛してくれるなら 』

 

 

こんな感じで始まり、中盤は「何があったってあんたが居ればいいんだもんね!」を支える例えの細かな羅列で埋め尽くされる。

 

お定まりの、「死ぬ」だの「失う」だののフレーズも散りばめて。

そして終番このように歌う。

『私たちは永遠を手に入れるの

果てしなく広がる青空の中で

悩み事のない空の中で 』

 

 

え?今、何て?

 

のっけから、落ちて来たって構わないと歌った空を、

最後には『神は愛し合う者を結びつけてくれる』と歌い、その『結ばれちゃう』場所として指定。

どうでもいいことの筆頭に挙げた場所にゴールイン。

皆様、年始からどうか噛み締めて頂きたい。
エゴとはかくもトンチンカンなものだと言うことを。

そして、どんだけ騒ぎ立てようと見栄を切ろうと、結局は

空ありきの世界

であると言うことを。


ジタバタも地団駄もデングリ返しも、皆、空の下。
母の元を出ない。

ママの元でむずかっている幼子が不覚の人類
そしてその幼い人類を責めたり見放したりせずに、片時も離れず天意を送り続けて来たのが全母(虚空)

“神は愛し合うものを結びつけてくれるから悩み事のない空へ返るの”は、どんだけ腹をくくった女っぽく歌えども要するに

 

「ママ、抱っこ〜!」

 

なのである。

 


「そうは言ってもママが僕らを見捨てたり(空が崩れたり)なんかしないんだもんね」、という深い部分での認識がある。

その通り。

空は崩れ落ちて来たりしない。


不覚から覚へ変容し、子供から大人へと変わった人型生命体が活動するのを観る為に広がっている。
ただ、静かに。そして、永遠に。

覚が不覚をどれだけ広く深く天意しているか。
そのことを不覚の愚かさによって浮き彫りにし、鮮やかに描き出している『愛の讃歌』は、図らずも

愛からの

天意への讃歌

となっているのだ。

 

まあ何て言うか、逆に?

 

ピアフはフランスで最も愛される歌手の一人と言われる。


何者にも引き裂くことの出来ない愛を歌った『愛の讃歌』の発表前後、この歌を捧げられたとされる男性は事故で世を去っている。
彼には妻子があり、ピアフに自らの全てを捧げていたわけではない。

ピアフも死んだ彼の後を追わず、その後2回結婚している。
あなたが死んだらあたしも死ぬと歌える相手が居なくなっても、歩みが止まらないことはある。

彼らはいい加減なのでも、嘘つきなのでもない。
真実を忘れて誤解した上で、懸命だっただけだ。

 

愛は本来、「かたち」から「かたち」へ捧げられるものではない。

 

結果としてそう見えることはあっても。

まして、「或るかたちだけ」から「或るかたちだけ」に捧げられるものではない。

愛とは目に見える何を通していても全母に捧げられるものであるし、全父としての実感が生まれると、世に満ちる全てが愛であり自らであると分かる。

本当に、誤解している。
だが、深い部分では誤解もしてみたかったし、表層では誤解でも懸命だったのだ。

この曲をしみじみと聴いていると、それが分かる。
情動の(つたな)い可愛らしさと共に、力強い美しさが有る。

愛の本質が真に理解されるようになって初めて、真の恋愛も花開く。

 

 

今までが無駄だったとは言わないが、もう十分なのだ。

 

だからこその変容の時代である。

 

本日記事の最後に、以前、上から来た「不覚社会がし続けている愛についての誤解」をシンプルに指摘した言葉を申し上げておく。

 

愛するとは、

特別に優しくする

ことではない。

 

愛を逆から歌う、ロマンスの神様。

(2017/1/5)