切るに切れず、長くなりました。

 

あいすみませんが、師走のあれこれでお忙しい皆様は小分けにしてみるなどして調節し、気長にご覧下さい。

 

では記事へ。

 

 

《愛の力》

 

上から請け負っている、情報文字化する仕事については、この所、取り扱う範囲が増える一方。

よくも興味に任せて奥の浜をほっくり返す暇なんかあったなと呆れる程、情報の流れが速さと深さを増している。

先日、手に滑り込んで来たマイケル石にしても、当初は

違うマイケル


について調べていたら、いきなりスライドして来たのだ。

坊主めくりで引いても引いても坊主ばっかり出る時みたいに、最近とみにマイケルづいている

 

やはりクリスマスだからなのか。


尤も、近いと言えば近いのはその点位。

 

先日記事にて、どんどん雰囲気がクリスマスからズレて来たと申し上げた。


開会式でひょっとこ持ち出した時点で道は決まっていたのかも知れないが、本日記事ではまさに

どこがクリスマス


 となる、一見何の関係もない作品について書かせて頂く。

タイムトラベルひょっとこ祭など、あればこの世で最もクリスマスから遠いものの一つに数えられるのじゃないだろうか。

 

 「それはどうかな?」

だが、この作品は色々な点で光っている

タイムトラベルも閃光と共に起き、後に残るのは衝撃が走らせた炎の道だけである。


ので、良しとする。

 「光りゃいいんでしょ、光りゃ!」

まぁ、タイムトラベルは追ってその内クリスマスに着地する。
 
さてこの映画、有名な作品ではあるが一応ざっと「どんな話だったか」のさわりをご紹介すると、
 
主人公マーティ・マクフライは、「チキン(腰抜け)」と呼ばれると鬼ギレすることと親友が、変わり者の科学者“ドク”ことエメット・ブラウン博士であることを除けば、至って普通の高校生。

 

 

バンドもやってるし可愛い彼女も居る、割合リアル充実めの高校生。

ジャイアン風の幼なじみビフに未だに頭の上がらない、ついでにうだつも上がらない気弱な父と、小言と酒量と贅肉が多めの、同じくさえなさ満載の兄姉と一緒に暮らしている。

ある晩マーティは、変わり者の親友がこさえたタイムマシンの稼動実験に付き合わされる。

 

実験が上手く行ったのはいいが、燃料が盗んだプルトニウムだったためトラブル勃発。

 

マーティは、何の気なしに親友がピッピと押してセットした「歴史上重要な日」、つまりトイレですっ転んだ拍子に、タイムマシンのアイディアが閃いた日に、たった一人で飛ばされる。

そのタイムトラベルで、よりにもよって彼や兄姉が生まれる元となる『父と母の出会い』に割り込んでしまう。

 

 

「歴史を元の流れに戻す」為に、マーティは“その当時のドク”の協力も取り付けて奔走するのだった…。

こんな感じ。

この作品は娯楽要素もふんだんに盛り込みつつ、時間軸の持つ面白さをきめ細かく丁寧に描いている。

表現者としての素養と、「発表して、もし夢を否定されたら」と怖じ気づいてしまう弱さは父から。
不意に現われる、向こう見ずなまでの大胆さと、正義感は母から。

 


子であるマーティに、父と母の個性が上手に分配されている。

最初にマーティを見てから、そこかしこに似た要素をマクフライ夫妻に感じるので、尚更自然に「ああ、成る程親子だね」となる。

流石に不思議な位ヒットしただけのことはある、と唸った。

そして、マーティはおそらく父母の両方から「根の素直さ」と言う性質を受け継いだ。

割と初めからそうではないかと睨んでいたのだが、おかしな発明に数十年没頭したままの町の変わり者と、すんなり友達付き合い親友になる時点で、マーティはかなり素直だ。

素直かつ馬鹿である。
 
1作目で起きたマクフライ家の大規模な運命変更を可能にした肝は、彼の持つこの素直さに尽きる。

「歴史を歪めてはならない」。


そんなドクの教えも素直に受け入れたマーティが求めたのは

元々そうである(あった)はずの自然な流れ


 であり、そこに

理想型を持ち込んでいない。

彼は「父と母が恋に落ちて結婚し、彼や兄と姉の生まれる未来(彼にとっては現代)」にしか意識を向けていない。
 

 

過去に手を入れて、さえない家族を改良しょうとはしていないのだ。

どんな状態であっても彼にとっては起きていることがそのままベストなのだと分かる。
それはとしか言い様がない。

そうした理想型を設定しないと、只、起きたことに対して今出来る全を尽くす行いが、彼を成長させた。
 

4分でわかるBTTF。

 

歌詞の和訳はこちらで。

 

主題歌名である『Power of Love 』愛の力がここに発揮される。

マーティは「夢を否定されたら恐い」と実現に躊躇する若き父の姿に、自らを重ね合わせて共感を示しつつ、その上で励ました


父は子、子は父から、互いに成長する切っ掛けを受け取ったのだ。

 


互いに、と書いたがやはりマーティが全ての切っ掛けになっている。

彼がうっかり飛び込んだ1955で巻き起こす変化事態や価値観、心境の引っくり返しが、元居た1985での冷えた現実にまで火起こしをすることになる。

そのことに気づいて天を仰いだ。

 


マーティ=ひょっとこ説。

つまり起きてる事をまとめると、

タイムトラベル引っくり返しひょっとこ祭。

この祭によって、人生負けっぱなしだった父ジョージは、運命の一発逆転を自身の拳で実現する。


その裏で、逆に負けず嫌いな息子マーティが、喧嘩に負けて車のトランクに放り込まれる事態に。

 


だがそれが巡り巡って彼に、1985でなかなか得られずにいた人前で演奏する機会を与える。

降って湧いたステージでの夢の様な体験に、彼の内側で勝ちも負けも溶け合い、流れて消えて行ったのではないだろうか。

そして、その場には余りに新し過ぎたパフォーマンスで音が途切れた時、マーティは「帰らねばならない」ことを思い出す。
 

調子乗ったせいでドン引き。


ところが「帰った」のは出発した当初より遥かに弥栄な未来としての別の現在であった。

時間軸の面白さを描ききった上で、場面の一つ一つ決して固定されてはいないことを鮮やかに示す。

過去とされる前の今も、現在である今の今も、未来と呼ばれる後の今も、全て違う「今」があるだけだ。

内側が育つと、外側も変わる。

添え物(マクフライ)が、主役(ビフ)を食うこともあり、結果「思いもかけなかった素晴らしい状態」が、今の今として発生することも十分にあり得るのだ。

 

ひょっとこは理想を勝手に定めない。

(2017/12/7)