どうにも途中で切れず、又も長くなりました。

 

誠にあいすみませんが、週末手の空かれた折にでも、飽きない程度に適当な所で区切るなどなさって頂き、皆様それぞれに良い塩梅でご覧下さい。

  

では記事へ。

 

(こころ)(にわ)

 

先だって記事にて申し上げた様に、ハロウィン手前からこっち、手の空く度にハリー・ポッターを読み進めている。

7作あってそれなり長くなる用事だとは知っていた。

そこに、日本語訳が色んな意味で元と違っていると言う、珍事が発生。

 

原書にもあたりつつ、同時に映像化されたものも見て行くことになった。

ポッター後に、更にポッター。追いポッターが続いている。

そんな濃い時を過ごしていたら、が又別なのを放って寄越した。

 

 


ハリーとポッターの間に、

カレルとチャペックを挟み込んで来た。

「ハリーとポッターだぞ。割りようのないものに、全然別なのを混ぜやがって」

と当初文句を言ったが、魔術に満ちた、それでいて明らかに“人間の物語”であるハリーポッターシリーズが持つ根の深さと、園芸家が懸命に掘り起こす植物のとに、共通性を見出し「成る程、確かになぁ」と唸った。

 


カレル・チャペックは、チェコで最も著名な作家の一人と言われている。


ちなみにもう一人は『変身』を書いたフランツ・カフカ。

この作品と作家についても申し上げることがありそうだが、入りきらないので今の今は放り投げておく
 
チャペックのことも、彼の戯曲『R.U.R.』のことも知らなくても、その作中で彼が登場させて広まった言葉はおそらく皆様全員、どこかで使ったことがある。

ロボット

「労働」や「隷属」から来ている呼称で、言葉そのものは画家でありカレルと同じく作家でもあった彼の兄ヨゼフが作ったとも言われている。

 

カレルとヨゼフ。


人により作られた、人をかたどった存在が、『R.U.R.』の世界では、人の能力を追い抜き、人に逆らい支配は崩壊する。

人が技術で神を真似る振る舞いをすることを、チャペックは不自然で愚かなことと理解し、そしてそれがそう長くは持たないことも分かっていた。
 
100年前に。

『園芸家12ヶ月』でも自然に触れて、その美しさや、奇跡の様な歓びの瞬間を味わいながら、ありとあらゆる矛盾に満ちた行いに興じる人間の姿を描いている。

チャペックはブレない。


ブレなさ過ぎて、かなりのハイペースで多彩な仕事をこしらえた後、割とさっさと物理次元を後にした。

彼が『園芸家12ヶ月』の中に登場させる園芸家達は、庭を持ち草木や花を育てて愛でると言う、いかにも平和な行いをしている様に見えて、揃いも揃って素晴らしく分かり易い、エゴイスト揃いである。

挿絵で見ると良く分かる。

 


ここには、園芸の形を借りたエゴの博覧会が出来上がっている。

面白おかしく誇張した感じで書かれているが、こうした心根があると言う意味ではリアリティを感じるものばかりである。

人は自然と触れ合っていてさえ、これ程全一から離れた状態に陥ることが出来る。

1月から12月まで通して園芸家達の悪戦苦闘、そして性懲りもない姿を見ていると、ああ不覚はこの様にして続いて来たのかと、納得する。

興味が湧かれた方はご一読をお勧めする。外見だけ成人した風で居る、山程のおらが君達に会える。

 


チャペック本人もそうした園芸家の一人だった。

12月、厳しい寒さを伴う嵐の中で庭の手入れを敢行した結果、流行性感冒にかかり肺炎を起こし、クリスマスに50手前で亡くなった。

ここだけ切り取ると洒落にならない園芸バカ一代であるが、1930年代末、チャペックの元には彼を狙うナチスの包囲網が迫っていたので、囚われ人として生を終えるより、庭に殉じたかったのかも知れない。

 

作家だからなのか、チェコだからなのか、ゴキゲンなデザインの墓。

 
意図的でなくとも、その思いは彼の内にあったと感じる。

実際、兄ヨゼフは収容所に送られ、故国解放の直前に栄養失調で亡くなっている。

二度の大戦が終わる前、明ける光見ずに没した人々の仕事として彼らの作品を観ると又、味わい深いものがある。

「生きづらい時代」とか、現代への苦情は山の様に見るが、他の年代を観察して

「わ~これ、キッツイなぁ、よく全うしたな、凄いわ」

 


と讃える動きは見かけない。

せいぜいが、「あの悲劇を二度と繰り返してはならない」とかの、ミステイク呼ばわりである。

そんな扱いだから、繰り返すことになっているのに。

とは言え、もう繰り返しの燃料底をついているのでなかなかそれも難しい話になっている。

大変HAPPYなお知らせと言える。

 


園芸を通して自然に触れ、自然と自らとがその存在を歓び合い、愛し愛され、豊かな時を過ごす。

そんな体験を重ねても、理想や正義と言った沢山の手放せないものが心に詰まって道を塞いでいれば、人は目覚めない

カレル・チャペックの内なる旅は、心の庭で止まったのだろう。

何もかも全体一つであったと腑に落ちる「腑」は、そこにはない。

「中心」には心と言う字が入っており、このことが目覚め街道でハート止まりの大渋滞が起きる一因になっている。

 

じゃんじゃん溜まる要求のお便り。


実際は、腑に落とさなければ存在の中心に還らない。

チャペックと、『園芸家十二か月』の園芸家達の姿から、その気づきを受け取ることが出来た。

感謝奥から放たれハートに湧き上がり放射状に広がる

心の庭の気づきについては、心底から感謝である。

 

多才を発揮した、ヒントの神。

(2019/11/28)

 

11月のふろく

《冬の喜び・春の楽しみ》

 

冬から春にかけて様々な新体験をなさる時に、役立つアイテムをご紹介。

さあ何がしたいかなと意識を向けてみた時に、

「やってみたいけど暖かくなってからかなぁ」

と、なるものが浮かぶこともあります。

まずこの冬の間になさることを寒色の《冬の喜び》に、

 

春からなさりたいことは暖色の《春の楽しみ》に、


それぞれ書き込んで、実行したら囲むように丸を付けると充実度合いが一目で分かります。

畑や庭を上から見た様にパッチワーク状になっているので、何処からでも書き始めることが出来ますし、実行をする順番も自由です。
 
冬と春を新体験で祝うことを、気軽に楽しんでみて頂ければ、幸甚です。