《復活の歌》

 

BTTFから遡ること150年位。


クリスマスイブの晩に突如起こるタイムトラベルを描いた小説が、イギリスで出版され大当たりした。

 


これもまた超有名作であり、ご存知の方も多いと思われるが一応ストーリーも添えながら、ご紹介申し上げる。

金にがめつく人に厳しい、凍てつく冬の様な男スクルージは、クリスマスイブであっても誰のことも祝わない。

ディナーの誘いを持って訪ねて来た甥っ子は断って追い出す


寄付のお願いで来た男達も断って追い出す

 

雇っているたった一人の書記クラチットにはしぶしぶクリスマス休みを与え、代償に翌日の早朝出勤を命じて追い払う

 


誰も愛さず祝わないし、そして結局自分にもそうしない。

スクルージはその晩、彼と同じ位に生前愛しも祝いもしなかった共同経営者マーレイの幽霊から、突然の訪問を受ける。
 
愛さず祝わぬ行いを積み上げた分、長々と延びる鎖に繋がれたマーレイから、スクルージもいずれこうなると告げられ、彼は慌てふためく。

 


マーレイはスクルージに、これから3回、幽霊(スピリット)の来訪を受けよと言う。

まとめて1回にならないかとごねたり、上手いこと逃れようとするスクルージだったが、マーレイが去った後、過去現在・そして未来クリスマスの幽霊が順に彼の元を訪れる。

 

幽霊といってもスピリットなので、マーレイの様な死霊とまた違う、精霊達である。
 
過去・現在・未来のクリスマスの幽霊達との不思議な時間旅行を通じて、スクルージに少しずつ変化が起き始める。
 

 

始めに彼は、過去のクリスマスの幽霊と共に、順を追ってこれまでの歩みを紐解く旅に出る。


悲しい記憶暖かい思い出目を背けて来た過去を直視することで、彼の中でタブーがタブーでなくなる。

この時点で既に、彼の内側は変わって来ている


過去への旅は嫌々だったのが、次に彼の元にやって来た現在のクリスマスの幽霊には、自主的に付いて行こうとするからだ。

 

 

スクルージは幽霊と共に、彼の見知った人達が過ごす家の中から、見知らぬ人達が行き交う世界の各地まで、様々な現在のクリスマスを見て回る。


スクルージが自分で払っといて馬鹿にした僅かな給料でやりくりし、家族と心のこもったクリスマスを過ごすクラチットの姿も見る。

 

末息子のティムは病気で、このままの暮らしではじきに亡くなるだろうと幽霊が言う。

 


スクルージは、自らがどれ程強欲で、狭量で、辛辣で、無慈悲であったかを知る。

幽霊が着ていた衣服の中から出して見せた『無知』『欠乏』と言う、社会が生んだ“子供”達の姿も見せられ大きなショックを受ける。

そのまま未来の幽霊の来訪を受けることになるが、この幽霊が最終的に案内したのはスクルージ自身の墓

 


旅の途中ではスクルージが死した後、どれ程無慈悲に身ぐるみ剥がれるかまで、分からせてくれる。

彼の改心の一部を担っていたティム坊やも死んでしまっている未来。

 

実はちっちゃなティム坊やは、消え去りそうになっているスクルージ自身の可能性を象徴している。

だから強く彼の興味を引いたのだ。

 

 

自分の墓を前にして運命を変えるべく決意を宣言し、まだ間に合うはずだと未来の幽霊に問いかけ懇願するスクルージ。


そして変化が始まる。

『クリスマス・キャロル』が世に出たのは1843年。

まだ覚とか不覚とかの言葉も知られてない様な、古い概念をみんなでエンジョイする時代の作品なので、何かと善や正義を持ち上げて来るし、お説教じみた面も多々ある。

 


只、その古くささを差し引いても、大きく学べる点がある。

キリスト生誕に関する祝歌を総称して、クリスマス・キャロルと言う。
何故この作品が、小説でありながらクリスマス・キャロルであるのか。

キャロルとは、元は舞踊の為に作られた歌。

 


『クリスマス・キャロル』は、主人公スクルージの過去・現在・未来を貫く振舞いを数え上げ、味わい直し、清算し、新生することで復活再生を成している。

物語でありながらキャロルでもあるのは、その一連の動きが一つの舞踊、そしてとなっているから。
信長が人間50年〜とやったアレである。

信長は炎の中に消えたがスクルージは死の淵から復活再生した。

 


未来の精霊と過ごした旅の終わり、彼は真実変わることを宣言し、運命は変えられると言って欲しいと諦めずに精霊に問い続ける

問う度に未来の幻影が収縮し“元の姿”に戻って行き、気がつけばスクルージは自分の部屋に居る。


彼は、もう一度新しい朝が与えられたことを知る。

 昨日と同じベッド、同じカーテン、同じ部屋着、窓の外には同じ風景。

の様に見えて、実は一つも同じではない。

 


全く新しい状況画面に飛んでいる。

原作では、起き上がったはいいが感激して服の着方さえ思い出せず、

「どうしたらいいか、わからんわい!」

と、全身を奮わせる喜びに彼は泣き、笑う。

ツリーもプレゼントもキャンドルも出て来ない、輝かしいアイテムの一切ない場面だが、読む度に言い難い輝きを感じる。

 


世界を満たす溢れる程の新しさが、彼が戸惑い喜ぶ姿を通してこちらの意識に流れて来る。

スクルージは心底から、変化した。
この後の行動にそれが現われている。
 
幽霊達に出会う前の彼なら決してしなかったことを、じゃんじゃんやり始める


今まで封じ込めてきた愛が、解き放たれて一気に振りまかれるのだ。

 


金さえ使えばいいのか。勿論、そんな話ではない。

たまたま彼が執着し、かき集め、握りしめていたのがマネーエネルギーだったからそれを放出しただけで、情報や技術など他のものを独占し握っている者なら、それらの放出愛の発露として現われるだろう。

だからこの変化は、施す自分像に快感を覚える慈善家が、多少の出費をまき散らして(あがな)えるものではない。

それぞれ不覚期に最も手放すことが困難だったものが、放出されていなければ意味がないのだ。

全部放すと光を放つ。

(2017/12/18)