()(まこと)


珍しく先週木曜記事からの続きとなる。

 


ご存じない方に向けて一応ご説明すると、2019において益々人気なこれは、衛星写真で

「周囲を自然に囲まれた中にポツンと一軒だけ家がある状態」を探し、

「誰かがそこに住んでいるのか。居るとしたら一体誰がそこに住んでいるのか」

を、確かめに行くテレビ番組である。

 


スタジオに司会者とゲストは居るが、本編に芸能人は誰も出て来ない。

一軒家を探しに行くスタッフも、彼らに一生懸命探される一軒家に住んでいる人も、番組視聴者からすれば無名「一般人」である。

ポツンとなっている所に人が住んでいるかどうかさえ分からないまま、探索がスタート。

誰も居ない空き家のこともあるし、誰かしらが住んでいることもあるし、全く別の一軒家に辿り着いてしまい、そこで話が展開することもある。

 


当たり前だが、出て来る一軒家の住人は皆、視聴者の期待に応える必要を全く持たない存在。

だからこそ、予測出来ない面白さが発生する。

スタジオにも「観るからには派手な展開を用意して楽しませなさい」と言うのではなく、「まあ、行ってみて空き家でも仕方なし」の大らかな雰囲気がある。

おそらく視聴者もそれに倣っているだろう。

過剰な期待はしない。

それがポツンとマナーである。

スタジオは大らかではあるが、決してなおざりにしている訳でもない。

 


その気になれば、川原に散らばる色んな形の小石一つ一つにでも、肩の力の抜けたそれでいて的確な感想を放てるだろう所ジョージ。

「所」と言う名が示す通り、この端末のを収める力」は芸能界の中でも群を抜いている。

見上げても居るのはタモさん位と言う、大変見晴らしのいい位置に居る端末。

但し所さんは「飄々とした自由人」と言うポジションにつき、「丸々全部は拾わずに適度に流す」のも芸風。

その放ん投げた所を適宜拾って活かす役割林先生が務めている。

「風流人」「知識人」。それぞれ違うタイプでありながら、ちゃんと折り合って喧嘩しないこなれた端末達を組み合わせたのが何処の誰かは知らないが、賢い采配と言える。

 


この二人によって、「無名のスタッフが迷いに迷って、辿り着いたのが空き家と言う大変地味な画面であっても、何だかオツな味に調理される。

偶然性だとは言え、空き家探しの映像だって別に山からそのままもいで来た訳ではない。

素人との膨大なやり取りの中で視聴者が満足する内容を選び出して磨いた、それこそ結晶の様なもの。

そこには、表立って知られることのないスタッフ達の、惜しみないマンパワーが捧げられている。

現場で動く人々への感謝を、視聴者と番組を統括する側が怠るならば、頑張っている人だけが静かに疲弊して行き、世界の果てまで行こうとしていた番組の様に、いずれエンストを起こすだろう。

 


ポツンとの「無添加の(まこと)と並ぶ、もう一つの素晴らしい点「孤の輝き」を学びきる為にも、普段ご覧になられていると言う方は、感謝をお忘れなきよう。

当宮記事で申し上げたこともあるが、人は孤独をとても恐れる

だから孤独感を回避する安心材料を求めるが、ポツンと一軒家の住人達はそれをほぼ持ち合わせない人々である。

何らかの事情があって、家族と離れて暮らす人。

亡くなった人のお墓を守って暮らす人。

周囲から人家が減って気がついたらポツンとなっていた人。

 


日本庭園とかアマチュア無線とか、個人的な生き甲斐に没頭する為にポツンとライフを実践している人も居るが、「只、流れに任せて暮らしていたら、そうなった人が多い気がする。

そんな一軒家の住人たちの姿を通し、視聴者は周囲から隔絶した環境で生活することの疑似体験をし、更には自身の元へも何時訪れるかも分からない図らずもの孤独を垣間見ることが出来る。

皆、何とはなしに感じているのではないだろうか。

孤独に向き合うことなくして、この先は進めないことを。
 


孤の感覚真正面から向き合い昇華する時、初めて独り立つことが出来る。

孤独昇華なくして、もないのだ。

だから、

「そんな一人ぼっち、一軒ぽっちの状態で大丈夫なの?」

と感じる様な人々の暮らしを観ることを求める。

 


ポツンと一軒家の住人達の在り方は、進化を意志する者にとっては、孤独先達であり、輝かす手本となる。

孤に向き合う時代への、虚空からのギフトである。

だが何しろ不覚の意識はぼんやかしているので、今いち孤の輝きを知ることに注力できず、大抵は「わぁ、こんな暮らしがあるのか」止まり。

他人の変わった暮らしを垣間見ることに終始している。

「大多数の視聴者は自らしてみる気はないまま珍しい体験を垣間見る」だけなら、切り口は全く違うものの平成期の「ビューティー・コロシアム」と大差ない。

 


誰かの決断誰かの孤高を、観ることで知り、追体験の感覚を味わう。

それ自体は良くも悪くもない。

只、ペロッと舐めただけで新しい味を平らげた気になって、いつものオヤツ(妄想や思考)に手が伸びるようであれば、当たり前に大きくは育たない。

そのことを認め、ポツンと一軒家の住人達から、飾らない爽やかな新風を受け取られること。

今の今はまだ、番組が疲弊から澱んだりしていないのでチャンスである。

 

孤の真、知らす神々。

(2019/7/16)