《切り開く火》

 

 

帰国した金栗は、自らの強化鍛錬だけでなく、「マラソンを通じて体力と気力を養おう」と全国の師範学校や付属校の校長に手紙を書き送る。

 

賛同を得た学校へは直接赴いて実地指導、3年で60校を訪ねた。
 
第一回の陸上競技選手権大会では選手として優勝もした。
 
現役の競技者として結果を出しながら、新たな才能が育つ素地を作り続けたのだ。

 

第二回大会でも優勝&世界記録樹立。 


ところが世界情勢が変わり、目標としていたベルリンオリンピックが中止に。
次のアントワープまで待たねばならなくなった。
 
オリンピックに出られないのならと、国内でも出来る長距離走の計画に乗り出す。
これが日本初の駅伝「東海道五十三次駅伝競走」になった。
 
金栗自ら関東チームのアンカーとして活躍もしたが、駅伝を企画したのは「優れた選手をいっぺんに沢山育てる」には、マラソンより駅伝の方が効率がいいと考えたからだ。

 


自身の活躍を超えた、途方もなく大きな成果を、彼が見据えていたことが分かる。
 
駅伝は一般市民をも巻き込んで大評判となり、以降、各地に広まって行く。
 
起伏の多いストックホルムでのコースに苦労した経験から、金栗は山地を利用した練習も重視する。
 
「走りに山は付きもの」と言う凄い認識で、他の陸上関係者と一緒に盛り上がって、アメリカ大陸を横断する駅伝を企画した際、ロッキー山脈を越すことを検討している。
 


 その前段階の「予選会」として企画開催されたのが、今日まで続く箱根駅伝の始まり。
 
『箱根の山は天下の嶮』だったからだが、金栗達の「走ってロッキー越えたいな」発想がなかったら、コースも箱根になっていたかどうか。
 
巡り巡ってを全体眺めると、えらい話である。
 
アメリカ横断駅伝の方は、スポンサーが降りたりしてそのまま立ち消えになったが、箱根は新春の風物詩となった。
 
金栗はアントワープオリンピックに他の3選手と共に出て16位。次のパリでは暑さに調子を崩し、途中棄権となった。
 

 

金栗四三のオリンピック出場は三回で終了する。中止になったベルリンを含めると足掛け12年。
 
この後、1940の東京オリンピック開催に奔走するが、日中関係の悪化を国際社会に非難され、一旦は射止めた開催地の座を日本は辞退することになる。
 
自身の預かり知らない所で情勢が二転三転し、惜しみなく捧げた努力が水泡に帰すことは、この人物の生涯で幾度となく起きている。
 
だが、それを理由に投げ出したりせず、常に新たな機会を生み出し続けたのが金栗四三の人生だ。

 


その名を冠した「金栗賞朝日マラソン」は「福岡国際マラソン」として、現在も続いている。
 
失敗者、落伍者と呼ばれる存在はこの世に数多(あまた)居る。
その多くと、あの日ストックホルムでのマラソンに落伍したこの人物の違いは、一体何なのか。
 
それを観察していて、「起きたことへの向き合い方」、言ってみれば消化力が違うことに気がついた。
  
庭先で動けなくなっていた彼を介抱してくれたペトレ家の人々へ、金栗はお礼の品を持って、帰国前に時間を作り訪ねて行っている。
 


以降も、幾度となく手紙や葉書を送り、感謝と近況を伝えた。
 
時は流れて1967のある日、彼の元にストックホルムから思いがけない誘いが来る。
1912のオリンピックから数えて55周年の祝賀行事に、招待したいと言うのだ。
 
喜んで出席した金栗に、更に予想外のイベントが用意されていた。
 
あの日果たせなかったゴールを、祝賀行事の一環としてスタジアムで体験出来たのだ。
 

 

彼が笑顔でゴールテープを切ると、会場にアナウンスが流れた。
 
「日本の金栗四三選手、ただいまゴールインしました。タイム、54年と8ヶ月6日5時間32分20秒3」
「これをもちまして、第5回ストックホルム・オリンピック大会の全日程を終了致します」
 
拍手の中、ゴールした金栗は
 
「長い道のりでした。この間に嫁をめとり、子供6人と孫が10人出来ました」
 
とコメントし、笑いと更に大きな拍手を受け取った。

 


何と素晴らしい多くのものを生んだ、負けだったろうか。
何と豊かで、何と大きな器の、“失敗”だったろうか。
 
そして、自らの負けた体験を他に向けて活かし尽くしたその時、それは負けではなくなる
 
遥か長い旅路の、祝福を受けての到着となるのだ。
 
一つのメダルも得ていない、
 
けれども多くの陸上選手が生まれる礎を作り、


前人未到の遥かな道を切り開いたこの選手に、
 
オリンピックの神は、心から「ありがとう」の気持ちを贈りたかったのじゃないだろうか。
 
祝賀行事の機会に、金栗はペトレ家も再訪し、あの日介抱されて飲ませてもらったのと同じ、ラズベリーのジュースを振る舞われたと言う。
 
天地に恥じない生き方をして来た者だけが収穫することの出来る、実に爽やかな“時の生んだ果実”だ。
 


世間じゃ有名な実話とは言え、宮司にとっては箱根について調べる間に突然降って湧いた情報であり、それまで金栗四三の名さえ知らなかった。

 

この度、細かな確認の為に初めてネットで調べてみて驚いた。
 
「2019の大河?!」
 
金栗と、もう一人の人物を中心としたドラマとなるそうだ。
さしてテレビを観ない宇宙のおじさんには、これも未知の情報。

 

だが納得で、
  

「そりゃ求められちゃうよね〜、こんな人」
 
と、大きく頷いた。


「全力で生き、かつ、歓ぶことが出来た人」とは、変容の時代に向け、まさに必要なデータだからである。
 
全母変容の時代「びっくりする程全力で生きた、純な人々」の再発見を求めている。
 
彼らの前人未到が、新たな前人未到の火をおこす。
 
それはまるで、見えざる聖火だ。

 

負けに負けなかった神。

(2018/3/1)