(ぜん)(つるぎ)

 

既に機能をしなくなっている旧スタイル下で行われていた動きなので、どうでも良いっちゃどうでも良い話ではある。

 

だが、そんな混迷の時代にも全母の天意人々の熱意の間から溢れ出ていたことの一例であるし、0と1についての有意義な情報も折り込めるので、本日記事の題材としてご紹介申し上げることにする。

 

“ひとつ 人の世生き血(すす)

 

ふたつ 不埒(ふらち)な悪行三昧

 

みっつ 醜い浮世の鬼

 

退治てくれよう 桃太郎

 

今世が平成スタートという端末達にとっては「何これ?」となる可能性もある為、一応ご説明しておく。

 

今回扱う『桃太郎侍』は、1970年代後半から80年初めにかけて、約5年に渡りテレビ放映されていた時代劇である。

 

双子が忌み嫌われる時代に、名家に双子の弟として生まれた為に出生を隠して市井に暮らす主人公が、虐げられる庶民に成り代わり悪を懲らしめる。

 

根が超ボンボンの為か長屋暮らしなのに働きもせず釣りばっかりしていたり、かと思ったら「よろず養生指南」と言う謎のベンチャーを立ち上げたり、女に惚れられても本人はとんと気がつかなかったり、普段の彼の暮らしぶりはコメディータッチで描かれることが多い。

 

だが、事件が起これば誰より頼れるヒーローに大変身。正義のために活躍する。

 

そして、その素性はけして知られてはならない。

 

ヒーロー・秘密・人情

 

この三要素がグッドバランスで大回転し、昭和のお茶の間を随分と賑わせたそうである。

 

 

先の数え唄は、

 

他の端末からエネルギーを吸い上げて、エゴを満足させる為に乱用する姿が、全一の美から離れて見苦しい状態である。

 

その様を、実に的確に表している。

 

不埒の「埒」は柵のこと。

「埒が開かない」の埒でもある。

 

「埒が開かない」とは、競走馬が柵を上げて外に出されない様子から、準備段階に押し留められていつまでも事が始まらない状態を意味する。

 

表層でどれだけ栄えた(てい)をとっても、不埒なままでは結局のところ埒が開かないのだ。

 

唄の3番目に出てくる「浮世の鬼」とは、エゴの欲求を満たす為に乱痴気騒ぎをする端末のことだけを指す訳ではない。

 

 

日本では角を生やしたり体を赤くしたりと「自分らと違う存在」として描いた怪物のことを、鬼だとしている。

 

だが鬼という文字を生んだ中国では、元々この字は「死者の霊魂・幽霊」を意味していた。

 

 

モンスターゴースト

 

何だって海渡り中にこんな「聞きまつがい」が発生したのかは謎である。

 

だが、

 

まるで体内にゴーストな中国の鬼が入り込んだかの様に、

 

異常な動きをする存在を、

 

その外見も込み込みでまるっと「鬼」である。

 

と了解したのが日本の鬼、ということになるだろうか。

 

「浮世の鬼」“鬼”も、対象に取り憑いて、本来の力を発揮させずに変な動きをさせるゴースト的存在と、結果生まれたモンスター状態の端末の二重構造になっている。

 

 

 

それをバッサリ斬って退治するのが、他でもない「桃太郎」侍なのは、誠に見事な巡り合わせである。

 

西王母の果実であるから生まれた男を名乗る侍が、浮世を徘徊(はいかい)する鬼を叩き斬る。

 

「鬼を分断し光に返せるのは桃の(つるぎ)である」

 

と言う、美しいメッセージが込められている。

 

モモは以外にとも字を当てる。

百とは十全の十と同じくを表す。

 

という形は「物理次元に現れる全てを生む、見えざる力の発生源である全母」を表す象形。

 

同時に、「根源の全母から発生する見えざる力」を表してもいる。

 

第1話はこのスタイリッシュさ。 ある意味、元祖メン・イン・ブラック。

 

言ってみりゃは「」でもあるのだ。

 

全一も全である。

 

1=全

10=全!

100=全!!

 

そしてとも言える。

 


1=全

10=全

100=全♡♡ 

 

と、翻訳できる。

 

影から、1というアウトラインを支える見えざる力。

天意とその源が、なのだ。

 

モモの剣全の剣

全母からの天意が満ちる、人型生命体の真価のことであり、人体の中心を縦に貫く。

 

 

 

産まれる時にパカッと割られて出てきたのは、その為である。

 

天意の元で発動した真価のエネルギーを、自らの内側に真っ直ぐ立てた時に初めて、浮世の鬼と言う歪みがあぶり出され、退治されるシステム。

 

単に「邪魔者を成敗する!」などと言う、偏った雑な仕組みにはなっていない。

 

全の剣は不動明王の倶利伽羅剣(くりからけん)にも象徴され、エネルギーとして観た時には“光の柱”とも呼ばれる。

 


ところで、ご覧の様に桃太郎侍は、分からんちんどもとっちめちんタイムに、般若の面をつけて登場する。

 

能の般若面は「嫉妬や恨みに歪んだ鬼女の顔」を表している。

 

桃太郎を名乗る鬼女の面で浮世の鬼退治に乗り込む

 

()大分、混沌としている。

 

 

「そもそも鬼が鬼退治とか言ってりゃ世話ないや

 

(など)となりそう。

 

だが、鬼には鬼で対峙し退治する、と言うのは実は清々しい程フェアだし理にかなっている

 

そして、本来「般若」は、サンスクリット語やパーリ語の智慧(ちえ)を意味する単語から音を写す形で生まれており、この智慧とは

 

悟り

 

のことである。

 

悟ったMEN全の剣で浮世の鬼退治。

 

古典的な勧善懲悪ストーリーを超えて、天意の力とその奥の全母が見え隠れ。

 

だからこそ、『桃太郎侍』大ヒット&ロングラン作品として、人々の意識に浸透することとなったのだ。

 

正解!

(2017/5/15)