あちこちで寒い日が続いているようです。

 

長くなりあいすみませんが、小分けにするなどされて皆様それぞれにいい塩梅でお召し上がりください。

 

では記事へ。

 

万有(ばんゆう)(つえ)

 

作文で尽くす間にも、新しい球は上からどんどん放られる。

先日も、突然このビジョンが送られて来た。

 

「わ〜!」

取りあえず驚いた。

別に空腹だった訳じゃなく、掃除しようとクイックルワイパーを掴んだタイミングだったからだ。

相も変わらず様々なことに関心を向け、丁度それらが白熱して行き交っていた時だったので「えっ、ここに追加?!」と驚いたのもある。

八幡信仰エントロピー中森明菜ルパン三世について意識を巡らすさなか、突如放り込まれたおでん
 

 

おでん自体が色々投入するものであるのに、これでは闇鍋の感じまで出て来る。


上は食べ合わせに頓着しない。

 

とは言え、すぐにおでんの
 
丸(円)が時間
角が空間

を表していると気づき、ビジョンや情報が意識からこぼれ落ちない様に集中してデスクまで移動し、こんな感じの図を描いた。

 


三角の頂点から

意志の発信が

行われる。

ところで、この串に関わる最も有名な人物と言えば、じゃないだろうか。


「日常的におでん串を手に持っている」存在って他に見かけない。


『ひと串3アイテム』形式のおでん串イメージを世に普及させたのは、おそらく彼の功績だ。

俄然、この串と彼に興味が湧き調べてみてとんでもないことが分かった。
 


 宮司は彼の持つおでん串について大きな誤解をしていたのだ。

それは具の素材について。

 勝手に、上から順に

蒟蒻


大根


はんぺん


と認識していた。

 

全く疑問にも思わずにパッと見でそうだと思っていた。

実際

蒟蒻

 

雁もどき

 

なると


雁もどきについては「見間違ってたなあ、いやぁもの知らずでした」で納得出来るが、心底驚いたのは

「なると?!」

だった。

 

何故なるとが四角なのか。

それは「角度を変えてみること」で初めて分かった。

 


斜めにするとこう。

一方向から見た時には四角だった存在が、視点を変えることでその本質をあらわにする。

素晴らしい教えに感じ入った。

なるとは漢字で書くと「鳴戸」や「鳴門」。

 

渦を巻いている存在である。

 


そして雁もどきの別名は「飛竜頭(ひりゅうず)」と言う。

当初気がついた「意識&時間&空間」の構図も、間違いではない。

だが、素材を理解した上でこれらを再観察し、そこに重ねられた更に深い驚く様なシステムを発見した。

万物を生む混沌の渦が最下部のなると
その渦の回転から竜が出現する。

 


昨夏にお渡しした冊子に書いたが、の本質は


自在に流動するエネルギーの先端、つまり“飛竜頭”が、上の蒟蒻に向かう。

蒟蒻とはどの方向にも行けるやわらかな可能性=万全の象徴。

 


 万全性を持つ素材の中心を通って、一点に定まった命を発するシステム。

それがおでん串。

この串は繁栄意志で全てをあらしめる、万有の杖と言える。

 


小さき者(=チビ太)がそれを持つと言う事実。
これは真の神である虚空からの天意は、細部に宿ることを表している。

只の小さい坊やだと思っていたチビ太。
調べてみると彼は孤児であり、寝泊りする場所が空きだったりする。

話の中で騙されたり凹まされたりしても読者からは人気があり、主役を食う働きをすることもしばしば。

 

 


肉の親も家もない存在でありながら、彼は有り余る程元気で性根が素直であり、そして心身ともにタフである。

何より、意識状況に縛られていない。

相当ハードな生い立ちだが、チビ太からは被害者意識を感じない。


彼は被害者でも加害者でもなく、当事者として生きている。
 


この冬は殊に寒さが厳しく、中立に保って過ごそうと努めていても、ふと意識が冷え込むこともあるかも知れない。

そんな時はこの寒さも活かして、おでんを召し上がられてみるのは如何だろうか。

串も用意して「万有の杖」を作れば更に、面白い。

万物繁栄の祈りを込めて、空間のいずれかに「ピピッ」と向けてみることが出来るからである。
 

寒いからこそ、温められる。

(2018/2/8)