《もろびとこぞりて》

 

クリスマスに歌われる曲は数えきれない程ある。


なのに目を覚ました後、この季節になると決まって上から響いて来る同じ曲

も〜ろびと〜
こぞ〜り〜て〜
 


楽しげに「♪」が付いてる感じで響く時もあるし、「!」が連打された激おこ調な時もある。

目が覚めても、全体で起きていることについてはさっぱり分かっていなかった2014あたりは、

「主は来ませりじゃねーよ。
日本の年末進行なめるなよ!」


と、こちらの対応も酷かったので文句も言えない。
大体、年末スケジュールのタイトさは、日本に限ったことではない。

日本のが走るなら、外国の達も走るだろうし、まして師じゃない人々は激走でも不思議ない。
宮司も激走していた。

但し、不覚の自己実現に向けたことではない。


訳の分からない勢い行き先とすることが決まって来る不思議としか言い様のない旅だとか、その体験を含めた日々の記録作成だとか。

今振り返れば、不覚の殻に納まって暮らしていたことで、すっかり萎えて弱っていた意識を、全体に尽くして動かす為の筋トレみたいなものだった。

 


不覚の師走騒ぎの中で一社会人としての働きもこなしつつ、そんなベストキッドばりの鍛えられ方してる時に、頭上からの

もろびとこぞりて

多少イラっとしても仕方ない気がする。

覚に慣れるうち、次第にこの曲も「ああ、またかかってるわ」静かに聴けるようになった。


が、せいぜい「上は随分気に入ってんなぁ、これ」と思う程度で、この歌の詞について深く掘り下げてみることはしなかった。

それを初めてじっくりと観察し、宮司を名乗る“これ”のみならず、全体にとって重要な情報なのだと気づいたので、本日記事にて書かせて頂く。

 


もろびとこぞりて 迎えまつれ
久しく待ちにし
主は来ませり 主は来ませり
主は 主は 来ませり

 

悪魔のひとやを 打ち砕きて
とりこをはなつと
主は来ませり 主は来ませり
主は 主は 主は来ませり

 

この世の闇路(やみじ)を 照らしたもう
たえなる光の
主は来ませり 主は来ませり
主は 主は 来ませり

 

しぼめる心の 花を咲かせ
恵みのつゆおく
主は来ませり 主は来ませり
主は 主は 来ませり

 

平和の君なる 御子をむかえ
救いの(ぬし)とぞ
ほめたたえよ ほめたたえよ
ほめ ほめたたえよ


何をどうやったら「Joy To The World」「もろびとこぞりて」に変換されるのだろうか。

意訳の自由さが半端ないが歌の持つ意志、その本質は、驚く程素直にそして綺麗にそのままになっている

ここで打ち砕かれる「悪魔の(ひとや)とは、エゴシステムでがんじがらめになった不覚社会でもあり、そこに閉じこもった人々がそれぞれに持つ意識を覆う殻のことでもある。


その手で自らを封じる牢獄作り続ける虜になっていた不覚の意識が解き放たれ本来の動きをし始める。

闇路を照らすたえなる光は、惑いでしぼんだ意識に華々しき働きを促し、その力となるいのちの水、恵みのつゆをもたらす。

慈雨により、更に意識は光り輝く力を湧き返らせる。
光を灯すと絶えざるの溶け合う所に「平和の君なる御子」が現われる。

その調和に満ちた姿に、混乱に揺らぐ物理次元空間とそこにある全ての存在が、彼らの陥っている騒ぎを収め、統合する「救いの主」が現われたと知り、歓び讃えるのだ。

 


 「主」とは何か。

悪魔のひとやから虜を解き放ち、闇路を照らし花咲かせ露を恵み、平和の君となる「主」とは、その動きを通じて全母の意志が現れる、変容した人型生命体、分神のことだ。

全母の意志を新世界に発現させる子であるから、「御子」と呼ばれる。

それを褒め讃えているのは、御子によって澱みを洗い流され、生き生きと真価を発揮する、空間と万物である。

決して「特別な誰か様」「そこに付き従うその他大勢」が褒め讃えている訳ではない。
  


僻目(ひがめ)で読み解くと、すぐ不覚の優劣や上下が這い出て来るが、世界はその様な貧しい作りになっていない。

元の「Joy To The World」も素敵だが、「もろびとこぞりて」題名に、とても重要な意味がある。
 
(しょ)(ぱな)この様に歌われているのは、変容システム発動の切っ掛けが「もろびと」が「こぞりて」、「迎え」そして「まつる」ことだからである。
 

 

もろびととは、人型生命体の意識下における全要素

記憶、概念、信条、美学、etc。それらに付随する思考と感情。

お気に入りも、嫌われものも、封じて無視して来たものも、一つも欠けることなく

 

全員集合!

 


入場制限を置かず、皆を招いて平等に出迎え、祭り奉ることで、世界が待ち望んで来た真の自己である、「主」が到来する。

つまり何であれ、まずは

もろびとこぞんないと
主は来ない

総選挙を勝ち抜いたメンバーだけ集めてたら、エロジジイは来るかも知れないが、世界を(あまね)く照らす救い主は来ない。

似合いのものが引合いますでしょ。


悪魔のひとやはエゴにそそのかされた不覚の分割意識が、外敵から自分を守ろうと作ったもの


 牢獄を作るのに使っていた力を、祭り祝うことに向ける時、もろびとが集い始める。

まずは、

あらゆるものを平らかにならして観ること。
そしてそれらを惜しみなく祝うこと。

「もろびとこぞりて」は、短くシンプルな内容の中に余す所なく変容の道を示す、導きの歌なのだ。

 

分け隔てなくこぞること。

(2017/12/14)