与えながら、そうしている自分の姿を、誰かが見ていることを意識する。
誰かとは他の人型生命体だったり、人がイメージした神仏だったり、虚空だったりする。
その誰かに「その通りだ」「君は正しいよ」「ちゃんと進んでいるよ」「見どころがあるよ」「すごい!」等、思っていて欲しいし、反応をして貰えたらもっと嬉しい。
他の端末からは望んだような反応があるかも知れない。
神仏からも、引く神籤などを通じて、そうした“返し”があったと感じることもあるかも知れない。
だが、虚空は善悪の判定はしないし、評価もしない。
駄目かどうかを判定する人々のことも、駄目とは全く思わず、ただ天意で観察している。
虚空は観ることを歓んでいるだけで、それについてあれやこれや思ったり検討したりしていない。
ここが駄目だから、こうやって直そうとか、やっていない。
人が見えざるもの、イメージした神仏や虚空に叱るか褒めるかして貰おうとするのは、何故なのか。
「そうやって良くして貰って、大丈夫になる私物語」を、脚本監督主演で作って行こうとしているから。
その元になっているのは、今ここではなく理想的ないつかをゴールに設定した「思い描き」なのだ。