《躍動の土台》
お目にかかる機会のある方々の新たに歩まれている道について、これまで以上に深く細かく知ることの必要性を上から示されたのが昨年のこと。
それ以来ずっと、こつこつと地道に耕す様に実行を重ね、理解を深める調査を続けて来た。
全体を観る中心からメッセージを受けるだけでなく、現場の空気を感じられる所まで出かけてみもしている。
それは当然に、こちらの道についても大きな学びをもたらしている。
自他はないからである。
知識を耕していると、見たことのないものが出て来て驚いたりもする。
これがとても面白い。
宝探しは、宝を期待して探すもの。
思い設ける作業がない知識耕しはそうしたものと、ちょっと違っている。
耕す動き自体に歓びがあるからだ。
愉快な気持ちで新しく気づき、発見し、感心している。
そんな中で先日改めて深く感じたのは、人の動的体験を支える不動の存在に対する感謝だ。
地震や地滑り、地割れなどで、地の面は動いたりする。
だが、地と天が入れ替わることはないのだ。
下方を支える存在があり、上が遥かに拡がっているから、人型生命体はその間で色々な体験が出来る。
こう書くと「そんなの当たり前じゃないか」と、なられる方も居るかも知れない。
その当たり前のことの、途方もない素晴らしさに感動する。
覚めるとその感動は、自然に起こる。
躍動には土台が要る。
草木が育ち花実をつける時も、その下には土台がある。
静かな確かさで存在している「地」。
そこに送る感謝は、世界を果てしなく感じることを可能にする。
空間で自在に動ける歓び。
(2026/3/30)
3月のふろく《花の実を観る》
様々な花が咲き始めるこの時期は、花から実へと変化する動きを観察するのに適した季節でもあります。
人の体験も又同じ。
そこを観察するのに役立つものを拵えました。
1月のふろくで種から観察して花として咲いたものを一つ選び、左の花の中にお書き頂きます。
下の青い丸の中には、この花の変化を観察しながら実がつくまで、「水」「養分」として注ぐものについて。
右側にある五粒の実には、花の果実としてどんなものが生まれたかを(幾つでも結構です)。
下のピンクの丸にはその果実について分かったこと、感じたことを自由に。
それぞれお書き頂ける様になっています。
種から花、花から実と、姿を変えるモノコトの奥には常に虚空が在ります。
表に現れるものを通して、虚空との対話を楽しんで見られると、全体一つの流れを実感し易くなります。
