上からこの様に示された後、質を素、つまり本来の状態にすることについて、更に深く意識を向けてみた。
不覚社会は質素を倹約と絡め、禁じることや強いることをそこに見て嫌う。
だが質素に人気がないことの理由は、それだけではないと気づいた。
質素に似たものとして言い換えられる表現の一覧に並んでいた、ある言葉が教えてくれた。それは、
粗末。
粗末の意味を調べると、
作りが雑であること。精製されていないこと。大ざっぱなこと。品質などが上等でないこと。また、そのさま。
おろそかに取り扱うこと。いいかげんに扱うこと。ないがしろにすること。また、そのさま。
と、散々だ。
素の状態の質とは、全母たる虚空の送る天意からの愛に沿ったもの。
雑とも大雑把とも関係がない。
寧ろ、厳しい制約なしに肌理細かな状態になる。
集中し、静かで、至福の歓びに満ちている。
粗末や末席、末路等と人は末を粗く扱うこともあるが、質素を本来の意味で理解するならば、行く先は末広がりとなる。
生きている人々が使う言葉にも独自の生が宿り、その意味合いは日々変わっている。
2026時点では、何となく粗末と混同されていると言うだけで、質素について本来の意味を人類が理解する日も来るだろう。
理解に至るのが10年先か100年先か、1000年先かは分からない。
分かっているのは、流れは既に変わっていると言うことだけである。