《興味の向き》
不覚社会に暮らす人々の動きを観察していると、何となく「型」があることに気づく。
多くの場合、彼らの行動を支えているのは「恵まれたい」「秩序を保ちたい」と言った欲求である。
恵まれたいを捲ってみれば「優位に立ちたい」、秩序を保ちたいを捲っててみれば「安心したい」が出て来る。
彼らがやっているゲーム内容を無視して
「優位に立つと言ったって、元は方向も角度も高低もない、虚空から来ているではないですか」
「安心するも何も、元は同じ虚空ですよ。それでどうやって不安になるの」
などと言うことに意味はない。
古いゲームをする自由だって勿論あるからだ。
それに、聞きたいことだけを聞いて、見たいものだけを見ている状態の人に、こうした内容は真っ直ぐ届かない。
届かないものを伝えようとするより、全体一つの流れに沿って充実した生き方をする方が余程役に立つ。
全体一つで生きていると、興味は「いかにして人より恵まれるか」「秩序を保てるか」ではなく「どれだけタイミングが合っているか」に向かう。
先日ふと気が向いて店に入り、水の入ったペットボトルを一本買った。
街のあちこちで買えるもので、普段は飲みたくなった時に買う。
だがその時は喉が渇いている訳でもなく、何となく「明日出かける時に持って行こう」と、珍しく明日と言う発想が出た。
面白いなと感じながら店を出て歩き、暫くした所で、多分生まれて2年くらいのちいさな人が、道に向かって体を屈めているのを見た。
手を繋いでいる、彼女を産んだ人なのだろう女性がその様子を見ている。
「地面観察かな?楽しいよね」と見ていたら、ちいさな人は唾を道に垂らし始めた。
「道に唾で文字か絵を?見たことがないチャレンジだ」
と、感心しながら通り過ぎて、数秒経って「ん?」となった。
振り返ると、唾で何か書いているのではなく、お腹の中にあったものを吐いている。
「あっ、そうか」と走って戻り、先程すぐそこで買ったと大きな人に話して、ペットボトルを差し上げた。
先方は少々驚かれた後、ちいさな人が落ち着いたら少し飲ませて、残りは道の掃除に使わせて貰うとのお返事。
お礼を言われ、手を振ってその場を後にして「成程なぁ」と、とても満足した。
吐くことにも何らかの必要があった訳で、その出来事を消化し、昇華する必要もあったのだ。
誰が得をするとかではなく、この「丁度」こそが虚空にも、そしてこの端末にとっても歓びとなっている。
機は気によって訪れる。
(2026/2/5)
