《自分を否定?》
お目にかかる機会のある方から、時折近況のご報告を頂戴することがある。
その中で先日、「そう言えば、不思議だ」と感じたものがあった。それは
自分を否定された
と言う表現。
「自分で自分を否定する」と言うことであれば、本来自他はないのでそれすら器用な話ではあるが、そうする根拠位は分かる。
当人だけが、これまでの歩みや感じたことを事細かに記憶している。
その記憶すら曖昧なこともあり、完全ではないにせよ、誰よりも多く知っていることは確かだ。
だからざっくりとではあるが、
「私って丸ごと駄目」
と見なすこともあるのかも知れない。
だが、この「丸ごと駄目」見なしを、どんな者であれ、他者にどうやって行えるのだろうか。
全てを知っている訳でもない、他者に。
また、どうやって逆に「丸ごと駄目」と見なされることが可能になるのだろうか。
定期的に顔を合わせる長い付き合いだったとしても、互いの内面の動きまでは分からない。
一つ屋根の下に暮らす家族でも、分からないことはある。
誰であれ、誰かを丸ごと否定することは不可能だ。
本人以外は。
「あなたの全てを否定します」
こんなことをこの世の誰が言えるだろうか。
また、言える立場にあるだろうか。
この奇妙な感覚を、人間はどうして抱くことが出来るのか。
調べてみたら、興味深いことが分かった。
それについては、次回記事にて書かせて頂く。