《耕を観る》
耕すことで、土から循環が失われることもあると学んだ後。
「では天地返しは自然な流れに反するのだろうか?」
と首を捻った。
調べてみると場所によって耕すのに向く土地と、そうでない土地がある様だ。
草に覆われ、その草を食べる動物が訪れ、噛みちぎられて短く刈られた草の間に、その動物の糞が落ちて着地する。
そこに雨が降り、適度な水分が保たれる中に微生物の循環が起きる。
その表面に種が撒かれ、少しだけ土がかかると循環の中に加わってすくすくと育つ。
そうした、放って置いても栄える場所には耕しは要らない様だ。
耕す動きが向くのは養分が失われ、踏み固められてガチガチになった場所。
こうなるとそのままでは水が通らず、表面を滑るだけになるらしい。
何か植えようにも、固まりすぎて動かない。
その状態に意識を向けていて、不覚の分割意識が作り出す癖の固さに似ていると気づいた。
日々踏み固められれば、当たり前にガチガチになる。
自覚してそこを解こうとする時、耕すと言う、ある意味大胆な動きになるのかも知れない。
ただ引っ掻き回しているだけなのか。
それとも耕すことで新しい要素を取り入れて進化しているのか。
耕しにも観察は必要となる。