《痛みと敬い》
「死…生…敬意…」
3つをクルクルと意識の中でお手玉していて、突然気づいたこと。それは、
敬意のようなものの裏に、それが起きてはならない不幸な出来事だったとする見方がある
と言うこと。
不幸として、思い返す時に痛みを伴う記憶に対する、せめてもの配慮が含まれている。
それに加えて、事件など人的理由がメインの出来事ならば、これから似たものを起こさない様に。
地震など人の手が及ばない出来事も含めて、起きたとしてもそこに付随する痛みがなるべく小さくなる様に。
そう試みる、対策の意味も含まれている。
悼む行為を通して痛みを緩和させる、共同体としての社会における、優しさや善意の存在を確認する意味もあるだろう。
節目のタイミングで繰り返し行う振り返りには、幾つもの意味が込められている。
人は痛みを直視することが苦手だ。
だから過去になった痛みについてはある程度遠いものとして細かな内容を確認出来ても、今現在継続している痛みにはそれをし辛いのかも知れない。
今この瞬間に敬意を払うと、心身に無理を強いることで起き続けている痛みを無視出来なくなる。
直視が苦手なだけではなく、現在の痛みには変更の余地がある。
その変更に、抵抗があるのだ。
痛みに限らず、慣れたものを変えることには多くの人が抵抗を感じる。
抵抗がある上に、今起きている痛みには各種の“痛み止め”も用意されているので、直視は尚更難しくなる。
気を紛らわす為の一服。
気晴らしの娯楽。
目標達成の興奮。
他者との差別化による優越。
今に敬意を払うよりも、エゴにとって魅力的なものが沢山ある。
それらを使って押し進める強引なやり方に意識が慣れる程、今と言う、あって当たり前なものに向ける眼差しは、容易く曇ることになるのだ。