《田から油を?》
「賑やかだなぁ」
ニュースを観察しているが、不覚社会は油のことで揺れる状態が続いている。
米だってオリーブだって精製する過程はあるのに、そうする前の石油についてだけ原油と呼ぶのは面白いことだ。
経済面で最も影響が大きいと言う意味で、人にとっては油の中の油だから、と言うことだろうか。
この現象が何を示しているかに意識を向けて興味が湧き、油と言う字について調べてみた。
油はそのまんま、壺や樽から流れ出す油を表す形声文字であると言う。
氵は液体であることは変わらないが、由には壺や樽以外に、実が熟して中が油化したものや酒を搾る竹籠を表わすと言う説もある。
何であれ、つまりは「漏れないような状態に覆われた液状の存在」があり、それが油と言うことになる。
見えざる中から現れて、社会の様々な動きを後押しするエネルギー。
「そう言えば田んぼじゃないのに、油田?」
と、色んな油田の写真を観察したら、海中から採っているものもあり、パッと見はダイナミックな田んぼみたいである。
田んぼに稲を植えて手間暇かけて米に仕上げるみたいに、油田にも人が何かしているのだろうかと言えば、そうでもない。
分解されず地中に残ったプランクトンの遺骸が、地層の重みで頁岩になり、温度と圧力で質が変わる。
地中の温度が100度前後を超えると、頁岩は原油に変化する。
出来上がった原油は液体になることで、これまで押し固めていた上層の岩石の隙間を抜けて上昇するらしい。
「何て面白いんだ」と驚いた。
そんなプロセスを経て上がって来た原油を、採掘する。
と言うことは人がしているのは専ら、出て来そうな場所探しと、見つけたら掘ると言う作業。
田んぼとはやはり違い、どちらかと言えば狩りに近い気がするが、ちゃっかりと「手間暇かけて収穫しております」みたいな、自らやった感を出して来るところは如何にもエゴらしく、特に不思議はない。
今もこの地球の何処かで、ちっちゃなプランクトンの遺骸は地中に埋まり続けている。
しかし、それを人の手で増やしたり、どうこうすることは出来ないだろう。
人の手で好きに増やせないものを、人類はかなりの勢いで広め、それを血液の様に流して社会を回し、色々な体験をした。
そして一たびこうして、回らないかもよと言う話になると、それ無しには居られないのに困るよと大騒ぎになる。
人々が行う体験の内容が、大きく変わって来たのだろうかと興味深く観察している。
油揺らいで、何が出る?
(2026/4/6)
