本日は海の日。
母なる海と表現したりするが、海と言う字の中にも母がある。
毎とは「髪に飾りをつけた女性」を表わす象形文字で、そこから「子供が数人いる母」や「毎日、廟堂に祈りを捧げる母」を意味するらしい。
「髪飾りが子沢山?」
中々、不思議な表し方である。
毎日の祈りと言う所から日毎夜毎など「ごと」の意味が後から生まれたのも面白い。
そんな謎めいた字である毎の意味には「いつも」と「そのつど」そして「薄暗い」がある。
薄暗いとは増々謎めいている。
無は暗と捉えられることもある。
人型生命体の分割意識達が全母たる虚空について感じ取った時、見えざるものを表現するのに「薄暗い」を使ったのかも知れない。
毎は母と非常に近い漢字で、現在毋と書かれている部分は、戦前まで母であったと言う。
暗く混沌とした、あらゆるものを生む場所。
それは「薄暗い」まま、「いつも」「そのつど」数え切れぬ程の生命を生み成し続けている。
そんな字である毎に、さんずいを付けた海もまた、北方の暗い色の海をイメージして生まれた字なのだそうだ。
太陽の光を反射して輝く海面や波が作る飛沫は、空と海の間に生まれる“子”と言える。
天と地の間に生まれる明かりも又、“子”である。
目に見える街の明かりも。
新体験として輝く人の行いも。
海も地も、「母なる」と表現される存在は絶えず新しいものを生んでいる。
生まれつづける子らは、歓びと共に物理次元に有りて在ることを、シンプルに楽しみ味わう。
それが本来の役割である。