《潮流観測》
刻々と変化を遂げる世の中を観察していて、自然に分かったことがある。
人から見れば、人が主となって動かしている様に見えるものも、実際は時代の潮流とでも呼べる向きがあって、人はそれに合わせて動いている。
潮流とは、月や太陽の引力による潮汐に伴って生じる海水の周期的な水平運動のこと。
ここから比喩的に「時代の傾向・時勢の動き」を意味する場合もある。
「その傾向だって、人が作ったものではないのか」
人間が万物の霊長であることを夢見る人々は、こう思うかも知れない。
だが、潮流として現れる動きを観察していると、それはとっくに人間の都合を超えている。
エゴの保存を目的としていない動きであることは、日に日に明らかとなっている。
例えば、これまでは現場の有力者が時には発破をかけて全体を動かすことが是とされて来たのが、
「パワハラです」
の一言でストップしたり、変更を余儀なくされる。
これなどはとても分かり易い変化と言える。
発破などで誰かに無理を強いられることは、心身に負担をかけ、御神体に無理が生じる。
逆に誰かに無理を強いることも、不自然な動きであるので、一見好き放題に見えても結果的に御神体に無理が生じる。
誰かが誰かに無理を強いられているのを、見て見ぬ振りをすることも、同様。
つまり、現場関係者全体において御神体に無理が生じる。
そう言う展開が減少したと言う点で、「マトモになりつつある」のだ。
ざっくり言うと、ハラスメント略してハラについて「ハラなしでも割と困らない」流れが、着実に広がって来ている。
この「ハラなしでも割と困らない」は、このまま流れに沿って「ハラがないことに慣れる」「ハラがないのが普通で、あると驚かれる」までに、スムーズに変化して行くのだろうか。
それとも、マトモな状態に飽きて落ち着かずに裏腹を好むのも人類なので、「ハラを糾弾するのもハラ!」みたいな“しっぺ返し”が発生するのだろうか。
こうした潮流観測は、それ自体面白いし、観ている間に驚く様な気づきを生んだりもする。
波に映える、色とりどりのエゴ花火。
(2026/7/16)
