《流れと共に》
向きに天意の差なし。
前回記事にて、この様に書かせて頂いた。
虚空は人々の行いについて「この役割は特に重要だ」と、差をつけたりしない。
目立つとか儲かるとかで価値をつけたりしないし、沢山の人から有難がられるとか、ぱっと見は弥栄そうなことについても頓着しない。
全ての役に同じ天意を送っている。
角度を調整して陽射しの強さを変える太陽がないのと同じに。
勢いがある人は虚空から気に入られているのではない。
虚空の天意に沿った全体一つの流れと方向が合って、その運びに乗っている。
覚めぬまま天意からの愛でしていないこともあるので、流向から外れればみるみる減速する。
減速したからと言って、虚空がそこに天意を送っていない訳ではない。
枯渇や衰退に対しても、天意が絶えることはない。
当たり前だが、これは虚空が優しいからではない。
天意は優しさや情に関係がない、虚空の本質である。
不動で無限の虚空が、自らを見える形で表現したくなった。
全一を数多の要素に分割したので、割れに割れた結果、われわれ(我々)として存在することが可能となったのだ。
そしてその数多が、元は全一と分かっていて動くとどうなるのか。
この新体験が始まっている。
不覚社会で居場所と呼ばれる、優しくしてくれる人や場所探しをする必要は既に無くなっている。
「優しくしてくれるだろうか?」の査定なしに、出会う人や場所を愛で観察する様になるからだ。
そこでは流向を無視出来ない。
従わなくてはいけないのではなく、流れに沿うことで起こる歓びと味わい深さがあるからだ。
流れと共に在る人を、誰であっても邪魔出来ない。
流れと共に在る人は、誰であろうと邪魔しない。
(2026/1/29)
1月のふろく《冬に蒔く種》
損か得かの査定など古い癖が抜けないまま、流向を感じ取ることは難しいかも知れません。
それよりも着実に、虚空の天意を感じることに役立つものを拵えました。
5分から15分程度で毎日出来る、何か新しいことを「種」として選びます。
それを左上の粒々の中にお書き頂きます。
下には小さな種の粒が90個あります。
実行した日には、粒の一つに日付を書いたり色を塗ったりして目印に出来ます。
3カ月程その新しいことを実践してみて、どんな変化が起きたのかを右側の黄色いフワフワにお書き頂きます。
どんな種を蒔いて、どんな花が咲いたのか。
色や香りがあるとしたら、どんなものか。
途中、実践を忘れた日や期間があれば、そこも天意からの愛で観察します。
咲かずに途中で枯れた(止めた)なら、そこも天意からの愛で観察します。
天意からの愛で、気づいたことや発見したことは、右下の花の中にお書き頂けます。
これは収穫を狙うのではなく、冬と言う外の変化が小さく見えがちな季節から、次第に動きが大きくなる様子を観察するものです。
個としてではなく、生ける虚空として種を選び、場に蒔いて、時を注いでみられると、訪れる春の変化を一層深く感じることが出来ます。
