《気にしない空》
人類が居ようが居まいが、地は特に気にしない。
「そりゃそうかも知れませんけど」
と、頬を膨らますだけの人々は、このことについて明確に自覚する必要を理解していない。
地が窮状にあると見なし、「それは道徳的ではないから」と、言ってみれば温情の施しとして自然を保護しようとすることは非現実的なのだ。
人類の多くが改心をして「善なる者」になるのを待っている様なものだから。
非現実的であるし、事実を捉えても居ない。
温情の施しとは、してもしなくても構わないものをわざわざ行ってやろうと言う動き。
だが「環境を保つ為に、全体性を無視することを止める」のは、施しでも何でもないことは明らかだ。
やりたい放題やった結果、当人達が生き辛くなっている状況で、それをどうにか変えようとする試みでしかない。
試みなくては人類にとってどんどん辛いことになる、のっぴきならない状況。
それを、地や他の種に対して「護ってあげなきゃ」と恩着せがましくすることで、遠ざけようとしている。
こうして一つ一つ確認して行くと、実に変てこな動きであることが分かる。
恩を売ることで、自分事で無いかの様に見なそうとする。
そうしてギリギリまで、エゴを手離さずに置きたいと頑張っている。
それはそれで、良いことでも悪いことでもない。
それも虚空がやってみたいことの一つだろうからだ。
46億年の歴史の中に、5億年かけて土が育まれ、20万年位で人類が増えて来たと言うストーリー。
この流れの中で、エゴを使って出来ることが煮詰まり、全体一つに向けて大きく舵を切った。
ゆっくりと、エゴありきのやり方にブレーキがかかっている状態。
その最中にあって、抵抗により変てこな動きが生じたとして、それが起こること自体は別に変てこではないのだ。
ブレーキがかかる際の火花として、古い生き方を手離さない人々が散っているとしても。
それも全く、良くも悪くもないことである。
虚空も全く気にしない。
(2026/6/22)
