《死生と敬意》
「〇〇地震から今日で〇年です」
今日の出来事について順に観察する中で、こうしたニュースを見かけることがある。
地震や洪水、事件等で大人数が亡くなる出来事が起きる。
すると世の中は、そこからどれ位の年月が経ったかを示して振り返りを行う。
10年刻みから、5年、時にはもっと細かく区切ったりもする。
こうした動きが起こる奥に、どんな力が働いているのかと興味が湧き、観察してみた。
そして発見したのが死に対する、更にはかつてあった生に対する、何か敬意のようなものである。
そして、ふと気づいた。
とすれば今の今、ここにある生に対する敬意は、どうやって示されているのだろうか?
終わったものだけ敬うと言うのも、変な話だからだ。
「当たり前と思っていた日常の有り難さを改めて感じる」
みたいな言い回しは、割と見かける。
これが生への敬意にあたるのだろうか。しかし、
「今、生きている状態ってこんな感じ」
と言うイメージへに向けた敬いであれば、結構カチッと固定されている。
ある意味、既に終わった場面と同じで、静止画的になっている。
「有難い…」と一回手を合わせて、それで終了とも出来そうである。
絶えず動き続ける生そのものに向けて、敬意を払い続けることは難しいだろうか?
生きていて幸せだなぁと感じる瞬間はあるだろうし、そう感じることが続いたりもする。
だが敬意は幸福の喜びみたいに、生に密着して起き続けたりしているだろうか。
「死に対する、更にはかつてあった生に対する、何か敬意のようなもの」は、果たして敬意なのだろうか?
「死…生…敬意…」
3つをクルクルと意識の中でお手玉していて、突然気づいて「あ!」となった。
それについては次回記事にて書かせて頂く。