《横の自由》
たとえ同じ位の交流があったとしても、人の力の及ばない、一つの決定的な差で、御神体をスムーズに別の場所へ移動させることは叶わなかったろう。
先日記事にて、この様に書かせて頂いた。
この一つの差とは何か。
人が横に移動する自由度の差である。
2025現在、人間が窓や屋上等を出発点にして、そこから空中を自由に移動することは叶わない。
炎と煙から逃れて高い所にある火事場を飛び出せば、地上に向かって即座に落下することになり、激突の衝撃に御神体は耐えられない。
この制約がある限り、どれ程の柔軟性を持っていたとしても発揮する間もないのだ。
何故、沢山の人間が高い建物に集まって生活するようになったかと言えば、利用可能な土地が限られていたからである。
但し、「人間は此処にしか住めないよ」と区切られた訳ではない。
ある程度都心に近く、
ある程度生活するのに便利で、
ある程度自然豊かな等々。
人が求めたある程度の条件を満たす暮らしをするのに、利用可能な土地が限られていたから。
そうして作った建物は沢山の利便性を人々に提供し、やがてそのまま住み続けるのに支障が出る程、古くなった。
しかしそれを丸ごと新しくする費用は、どうやら出なかった。
出さなかったのか出せなかったのかは分からないが、その為に古いまま表面など部分を修繕することになる。
費用を削り、人を削り、あちこち綻びが出た内容の修繕は、一体何を繕おうとしていたのだろうか。
人災とも言われているが、綻びが生じた箇所をなるべく早く安く繕おうと言う、余裕のない計画がまずあって、事が起こる最後の一押しとして人の動きが生じた様に感じる。
こうした無理な計画の推進はそのまま、「虚空に還り丸ごと新生するのではなく、エゴを残したまま表面を取り繕って、覚めた風になろうとする意識の狙い」に置き換えることが出来る。
地に足をつけることなく、意識だけが“高みにいる”様に感じていると、いざ大きな変化が生じた時に、対応出来ず只々混乱するだけとなる。
中立と言いながら自分だけを高い場所に置いて周囲を見ていないかと、内側を丁寧に観察する時。
高さを発見したら惜しまず、そこから降りて平らかとなる時。
どこまでも横に移動出来る、自由が拓けて行く。
高いも低いも、地ありてこそ。
(2025/12/4)
