て》

 

「そう言えば何でだろう?」

 

と、先日ふと気がついたことがある。

 

草木のを収穫するだけでなく、人は様々な果実を求める。

 

結果とか、成果とか、果報とか。

 

 

ところが、「果て」にはあまりグッドな意味がない。

 

栄華の果て。

 

挙句の果て。

 

成れの果て。

 

 

奇妙なことではないだろうか。

 

栄える華としての時期が過ぎて、美味しいをつけてそれが熟すのではなく、皴皴に朽ちる感じ

 

果ての意味を調べると、「終わり。最後。しまい」とあった。

 

古語の「果て果て」であれば、「最後」だけでなく「いちばん終わり」や「とどのつまり」に置き換えられると言う。

 

終わりに一番や二番があると言うのも不思議なことだが、終わりや最後であるだけで、グッドバッドの味付けがない

 

 

どの辺りで、果ての使い方は、こう」みたいなルールが定まったのだろうか。

 

それについては未だ不明だが、人が終わりに抵抗を感じる存在であることは何となく分かる。

 

と言っても、好ましい状態の終わりに限ってのことではあるが。

 

好ましくないものが終わる時は、「やっと結果が出た」みたいに言う。

 

終わりを嫌がる一方で、果てしなきものを嫌ったりもする。

 

それも人の奇妙さの一つで全く矛盾しているかの様だが、一点に於いて矛盾していない

 

終わりも、果てしなさも、人の手に余る。

 

人は、と言うかエゴは、支配操作出来ないものを嫌うのだ。

選り好み割れる、果と果て。

(2026/4/2)