《本が来る時》
御神体が本来持っている力
前回記事にてこのように書かせて頂いた。
その内容について予測することには意味がないので、勿論書くことはしない。
だが「本来とは何か」と言う点については申し上げることがある。
本日記事はそれについて書かせて頂く。
本来の意味について調べてみると
「はじめからその状態であること。 もとからずっと。 もともと。 元来。」とあった。
そこから「あたりまえ。 通常。」の意味にもなると言う。
「もとって、どこから?」
これらを眺めていて、「はじめ」をどこにするかで随分意味が違ってくることに気づいた。
人として生まれた時からなのか。
虚空としての元からなのか。
同時に、本来の「ほん」については、同じ「もと」の読みを持つ元の字で意味を繋げているが、
「来の方は一体何処に行ったのだろうか?」
の謎も浮かんで来た。
来る、と言うことは来ていない状態がある。
ない所に現れて、あるに変わる動きが「来る」ではないだろうか。
本が来る。
そこには、本来ではない状態が前提にある。
手間暇かけて包み隠して、本来から遠く離していたものが果たして何だったのか。
当たり前だと思っていたものが、そうではなかったと言う驚き。
変容の時代には、そうした包みが解ける面白さも沢山生まれて来るのだ。