《新たな力》
この所、ますます御神体が本来持っている力について、興味が増している。
この変化は何も、宮司を名乗るこの端末に限って起きていることではない。
全体一つの流れに沿っていれば覚不覚を問わず、御神体への関心は高まる。
地球の気温が上がっていることも、それを後押ししている。
環境が厳しくなれば、それだけ御神体に無関心ではいられなくなるからだ。
食べないとか、寝ないとか、意識の好き勝手に任せた極端な動きも行い辛くなる。
日頃から肌理細やかに御神体の変化を感じ取って、健やかであることを基本とする時。
意識の状態も、自然と健やかになる。
申し上げるまでもなく、分割意識・御神体と担当を分けていても、元は虚空から生まれている同じものであるからだ。
同じなんだからこっちの言うことを聞いてよと言うのは、お門違いな越権行為となる。
それもやってみたかったのが虚空であり、そうしてみたのが人類の歴史。
ではあるが、既に変容の時代になっており、古いコンセプトに基づいた動きはどんどん難しくなっている。
御神体とはどんな存在であるのか。
そこに意識を向けて日々新しく発見して行くことの面白さは素晴らしいもので、わざわざ古いコンセプトに拘る必要がない。
不覚の人々は、勝手に思い描いた超人的なイメージで「こうなって欲しい!」と御神体に期待をかけたりする。
「どうせ夢だよね」なんて打ち消したりしながら。
期待をかけ同時に否定もしているので「今のところ叶っていない。でも、もしかしたら…」の状態を保っている。
そうやってある意味器用に夢見る状態を保存して来た訳だが、期待をかけることに意味はないし、どうせと打ち消すことにも意味はない。
それはどちらにしたって予測の域を出ないし、基盤となっている情報がもう古いからだ。
新たに発見される御神体の力がどんなものかと、予想することは出来ないしその必要もない。
未知であるからこそ、とても面白いものなのだ。