《急かせども》
速ければ速いほど良い社会になると言うイメージ。
良い社会の「良い」とは、誰にとって良いことなのか。
仕事が楽になった分、働く人の生活に余裕が生まれるのかと言えば、そうとも限らない。
楽になった分、より多くの仕事をこなして収益を上げる方向に流れて行くのであれば、そこにある「良い」は主に雇う側にとっての「都合良い」である。
働く側の意識も、昇進などの栄誉や昇給などの褒美が影響して、都合の良さを感じたりする。
御神体の自然に健やかな状態を叶えることは、後回しにされ置いてきぼりになる状態。
申し上げるまでもなく「急かすもの」とは不覚の分割意識。
意識達が持ち込む様々な都合は、この急かす勢いを増幅させる。
気が急いて胸がドキドキするなどの、御神体に現れる反応も元を辿れば意識が起こしている。
無意識にドキドキすると言うのも、御神体が勝手にしているのではなく、かつて意識が起こした揺れが、御神体に響いて起こる。
それも実際に経験したことに限らず、見聞きした誰かの話から想像で膨らませた心配で刻んでいたりもする。
モノコトの速度を増すことは、より多くの果実を収穫する為にあるのか。
それとも収穫作業を行う人の心身を健やかにする為にあるのか。
ここの所がはっきりしないまま、ただ「何となく素敵な風になる良いイメージ」だけが日々量産されている。
不思議なことである。
はっきりさせてしまうと何かと不味いと言うことならば、それはやはり御神体を二の次にしたものじゃないのだろうか。
心身の健康が基本と言う姿勢。
それが実現するのは、日本人の数がもっと減って、雇う側としても不利益を感じる様になってからかも知れない。
そうすると人口の減少も、「御神体への愛を疎かにすると洒落にならない事態となる」ことが認められるまでの、大事なプロセスの一つとなる。
何一つ間違っちゃいないし、駄目でもない。
ないけれども、エゴを挟んだ古い動きは年々難しくなっている。
虚空の生み成す全体一つの流れに抵抗しても甲斐はなく、一時は押し戻せてもやがて反動で、もっと強く流す力が訪れるだけ。
その様はまるで、海と戦っているみたいだ。
急かせども、甲斐なし。
(2025/9/1)