《急かすもの?》

 

前回記事を切っ掛けにマイペースについて更に深く意識を向けて、分かったこと

 

それは不覚社会「速ければ速いほど良い社会になる」イメージが存在すると言うこと。

 

「スピード」のアップが、スマートとかスムーズとか言い換えられることで、何か正しくなるような雰囲気を纏う。

 

そこには、進化とは進みが速くなることだと言う認識も隠れている。

 

 

正しくなるような雰囲気、なので実際正しいかどうか誰も分かっていない

 

正しい方向に進んでいそうな、と言い換えることも出来る。

 

人は何故か途中であることを好む

 

全て空であると言う、種明かしを拒む動きなのかも知れない。

 

 

確かに、行動する中でそれぞれのエゴがぶつかり合って流れが変わったり、膠着状態になったり。

 

「マイ(私の)」と言う意識が強いと、モノコトの運びが遅れることは多い。

 

その一方で、エゴは不自然なハイペースも作ったりする。

 

場の決定権を持つ人に追い立てられて、他の大勢は命じられたことをがむしゃらにこなす動き強いられる

 

 

 

不覚社会では珍しくない動きである。

 

速かろうと遅かろうと、ペースを自然ではない状態に変えるのがエゴだから、そこに特に不思議はない

 

マイペースの復権と言うことだろうか

 

「ゆったりのんびりマイペースで行こう!」

 

 

 

 等、マイペースを幸せと結びつけて良いイメージを作り上げる人もいる。

 

そこには「急かされる様な気がしても従わなくて大丈夫だからね」と言う慰めや励ましや癒しが織り込まれている。

 

裏を返せば、やはり急かす雰囲気不覚社会のそこかしこに溢れているのだ。

 

この「急かすもの」とは一体何だろうか。

 

次回記事ではそれについて書かせて頂くことにする。

 

誰が為の速度。

(2025/8/29)

8月のふろくはお休みし、来月以降にご用意します。