《忘れる理由》
自分優先であれ、他者優先であれ、その両方を目指そうとするのであれ、柔軟に変えていくのであれ、意識の望みを叶える為だけに行うのであれば、全体一つの流れには沿っていない。
だから当たり前に苦しくなって来る。
御神体との交流が乏しい状態で、無理に動き回っているからだ。
苦しさを紛らわす為に、もっと派手な場面を求めて騒がしく動けば、更に疲弊する。
そしてどんどん分割意識と御神体のコミュニケーションが希薄になる。
0距離なのに遠い存在。
遠ざけているのは、常に分割意識の方だ。
御神体は分割意識よりも成熟した存在であるし、御神体には御神体の知性があることは既に幾度も申し上げて来た通り。
何をするにしても「なるべく御神体にとって自然な方」にして行く姿勢は重要になる。
そう申し上げたことも、一度や二度ではない。
御神体に意識を向けることを始めても、いつの間にやら忘れていると言う方も居る。
たまにしかしないことを、記録せずに放置すれば、忘れることに何の不思議もない。
逆に言えば毎日行って、しかもそれを記録すれば、忘れようがないのだ。
例えば、御神体に意識を向けて感覚やメッセージなど返って来たものを記録する日記をつける。
元々日記をつけているのなら、そこに添え書きする。
勿論毎日。
この日課があれば「そう言えば忘れてた」もなくなるはずなのだが、そうしたアプローチがなく、忘れることが出来るのには理由がある。
毎日向き合う程の重要性を感じていないから。
そして「本当にヤバくなるまでは、まだ意識だけでぶっ飛ばして走りたいぜ」と言う欲望があるから。
これは日記をつけようと言う話ではない。
忘れる方々は、御自身にとって御神体との対話は、現状そこまで注力する気がないものなのだと言うことを、まず認める必要がある。それだけだ。
本当に御神体と向き合っているなら、日記以外のアプローチでも、何かしらのアイディアが意識に生まれている。
教わったアイディアを真似るより、遥かに各自に合ったものが。
意識は常に、相応しいものに出会っているのだ。
認めることで、開くもの。
(2026/1/15)
