《強いる時》

 

こうしてやろうああしてやろうと、何かに向けてはたらきかけを行う時。

 

それがどれだけ良かれと思い

 

また、正しいことをしていると信じ

 

人々の幸福を願うものだとしても、

 

「やろう」の思いがある限り、強いている。

 

 

そしてそれは固い動きだ。

 

絶対に許してはならない、間違った奴ら。

 

話にならない、分かり合えない奴ら。

 

そんな風に感じる相手を、全体一つをイメージした中から追い出そうとする時。

 

全体とは何か理解していない

 

 

どれもこれも全体の中にあるのだ。

 

何に対しても強いることをしないと、とても楽になる。

 

誰にも何も強いたりはしないが、他者から強いられることはあると言う人々もいる。

 

そうした時は、その強いられている様に感じることと引き換えに、自らが相手から得ているものについて観察する必要がある。

 

 

守って貰える立場の安心感とか。

 

慣れ親しんだノリの落ち着きとか。

 

暮らしの保面子セルフイメージetc。

 

そして、それ無しで生きられない原因についても観察する必要がある。

 

何故ならそこに自由の人は本来自由な存在だと気づけるポイントがあるからだ。

 

 

精神的な自由。肉体的な自由

 

これは本来分かれていない

 

経済的な自由。時間的な自由

 

これも本来分かれていない

 

自由ばらばらにしようとするのは、得たいものの為に、自他に不自由を強いろうとする人の都合なのだ。

 

自由を強いることは出来ぬ。

(2026/2/9)