《常と異なる?》
全体を観察していると、外見重視の傾向や、異常気象と呼ばれる現象など、一見するとそれぞれ関係のなさそうなことも、実は同じテーマに沿って変化しているのに気づく。
それは、「意識が御神体を引っぱり回す暴走をしていては生きられませんよ」のお知らせを、無視出来ない程にボリュームアップすること。
外見重視と重なる部分もある、アンチエイジングを求める傾向も同じテーマに沿っている。
アンチエイジングは、人口減少社会においては、現役の働きが出来る人間を年齢に関わらず少しでも多く確保する必要からも、加速している。
すり減らさず数を確保したければ、乱暴に使い捨てる訳には行かない。
すると、無理のない生き方が必要になる。
勿論まだエゴを持ったままなので脇道に逸れたりもしているが、人類全体の運びで見ると、この大きな流れから外れていない。
と言うか、外れようがない。
つい先日「あ、そうか!」と、突然訪れた実感がある。それは、
人ではなく空間が全体の流れを生んでいる
と言うこと。
虚空からの天意で変化する、物理次元と言う現場は、人類が国や人種、性別、信仰、世代などに分かれて、都合の良い方に展開を引っぱろうとしても、その通りにはならない。
少しでも古い遊びを長く続けようとする、時間稼ぎも思い通りになっていない。
大きな動きしか捉えられない人の目から見ると
「何も変わっていないじゃないか」
「この世は荒れ放題」
「こうあるべき世界に変わるのはいつですか」
「なんて、結局変わりっこないですよね」
となる様な状況も、実際は片時も止まらずに、人の都合に沿うことなく刻々と変化を続けている。
見事なものだと頷いて、そう言えば異常気象とは不思議な言葉だと気づいた。
人間にとって快適な温度である状態は、地球誕生当初からではない。
星が生まれてからの一部期間を切り取って「常」と見なせるのは、実はとても器用な見方なのかも知れない。
どう見なせど、操れぬ流れ。
(2026/7/23)
