《問いと自由》
機会を生むにも、問いが要る。
前回記事にて、この様に申し上げた。
この事については既に幾度もお伝えした通り。
なので、「勿論そうですよ」「そういえばそうだった」となった方々も居られるだろう。
問いは必要不可欠。
何故なら、人型生命体が物理次元にて虚空に問うことは、ある意味で呼応の呼にあたる。
観察者たる人型生命体は形を変えた虚空の分神。
その人型生命体が虚空に問いかけるので、虚空は自らで自らを呼んでいることになる。
虚空は呼んでは応えることを楽しんでいるのだ。
ある意味で、と書かせて頂いたのは、逆向きの呼応もあるからだ。
虚空からの呼びかけに、人型生命体が応える。
それは言葉での応答とは限らない。
寧ろ、言葉に留まる方が稀だろう。
人からの応えは行動で示される。
虚空から出来事のかたちをとって「この流れにどう動くか」の呼びかけがある時。
人は自らの動きを以て応えるのだ。
動く時、そこには選択がある。
決定もある。
選び決める時、それは一つの表現となる。
虚空から観て、そこに善悪はない。
正解も間違いもない。
そしてその選択と決定の責任を、他の何者にも負わせることは叶わないのだ。