不断ふだんあい

 

母神祭について今年は何も申し上げなかったのには、理由がある。

 

お一人ずつの歩む速度方向差が出て来たことから、母神祭もそれぞれ独立して行って頂く様に進化したのが昨年のこと。

 

本年のに関してはとても静かだったので、こちらも特に尋ねたりはしなかったのだが、先日ふと気づいた

 

全体一つの新たにしたタイミングで、急に出かけることになり、そこで全母報告感謝を示して来た帰りのこと。

 

 

「あれ、これ母神祭だな」

 

と、なったのだ。

 

そして、上から来たのが

 

“言われなくても”

 

の、メッセージ

 

「あ!」と、思わず膝を打った。

 

 

こんなをしますよとお知らせし、行く場所することお知らせし、ご参加を頂くことから始めた母神祭

 

それを幾度も行い、その意味についてもお伝えした積み重ねを土台にして、今度はそれぞれで全母と通じての内容を受け取るかたち進化した。

 

そこで、その様に進化しましたよ、はそれぞれの御意志行って頂きますよ、とお知らせするかたちに変った

 

本年はお知らせなしでも、をなさったかどうか、と言うことがポイントだったのだ。

 

 

お知らせに沿って行動していた期間に、全母たる虚空から送られる天意からのメッセージ受け取れる様に成長して来た方々は、こちらが何も申し上げずとも行う

 

それは既に、その方と全母の間で、絶えることなく自然に起こり続ける交流天意からの愛の中に含まれているからだ。

 

自然なことになったかどうか。

 

全母も、その進化観てみたかったのだろう。

 

「そうか、やはり言わないことは必要な流れだったんだなぁ」と、改めて納得した。

 

 

「言われなかったから、やらなかった。それじゃ駄目なんだ」と思う必要全くない

 

単に誰がどこまで進んだのかを、虚空観ることにしたと言う、只それだけなのだ。

 

「やってなかった。そう言えば、やってみたいな今年も」

 

と、なられた方は年末までに何かしてみるのも面白い試みとなる。

 

評価に関係なく、天意からの愛歓び行動する時、それは祝福となる。

 

自然と祭る、不断の愛。

(2025/12/18)