《エゴか意識か》
巡って来た機会を活かし、そこでの体験に納得すると、自然に感謝が湧いて来る。
ところが世間には「満足したら終わり」と言う姿勢がある。
満足せず、次へ、先へ。
そうして前進あるのみと促すことで発展しようとする働きかけと、感謝による運びは全く異なる。
勿論、未だかつて見たことのない、新しい展開を虚空は求めている。
只、「これじゃまだ足りないから!」と、不足を根拠にしてはいない。
ずっと、常に、今なのだ。
そしてその今が現すどんな場面も、意味があり、輝きがあり、役割がある。
満足して一つの場面を終え、真っ新な意識で次に訪れるものに向かう。
何の後悔もなく、先への憂いもなく、誰にも何にも前もって期待せず、操ろうともしない。
そうである時に見える景色の、何と素晴らしいことか。
言葉で表現することの難しい、鮮やかさと軽やかさを伴なってそれは活き活きと動き続けている。
覚めた時のことを振り返ってみて、当たり前すぎて気づかなかったが、そう言えば、覚めることについて他者が何かをしてくれると言う期待は一切なかった。
覚めることに限らず、世の人は他の人に対し、様々なものを求め続けている。
与えて欲しい。
助けて欲しい。
認めて欲しい。
導いて欲しい。
変わって欲しい。
分かって欲しい。
きりがない。
こうした様々な欲望を観察していて、はたと気づいた。
エゴは自らが、つまりエゴが目覚めた状態になれると思っているのかも知れない。