《生まれる場面》
言葉も新しく生まれるが、それよりも頻繁に、と言うか途切れることなく生まれ続けているのが場面である。
誰が居ても居なくても。
人が居ても居なくても。
物理次元上には常に様々な場面が展開する。
それを観察するのが人型生命体本来の役割。
動物もある程度、観察に似たことを行って知識を得る。
この場所に隠れていると獲物が通って捕まえやすいとか。
この植物を食べるとお腹の調子が整うとか。
概ね、「生き延びる為」「より快適に生きる為」にそれは行われる。
なので例えば、
「この場面で起きたことは物理次元上で初めて見られるものなのだろうか」
と言った点について、他の生き物は気に留めない。
自身の生存と何ら関りがないことを、他の種が注視するのを見たことがない。
観察者としての役割を全うする時、人型生命体が本来持つ力は冴えわたって来る。
役割を全うすることに意識を向けた時、御神体との協力が不可欠なのは明らか。
協力するには歩調を合わせる必要がある。
意識が落ち着きなく飛び回ることを止めて、御神体のペースに沿って、これまでより丁寧に場面を観察する時。
同じ人、同じ場所など諸条件が共通する為に、似たものに感じられていた場面の、見逃していた新しさが目に冴え冴えとして来る。
雨上がりの様に、鮮やかに。
場面から感じる新しさは、それを観察する意識の状態も新しくする。
観察するもの、されるもの。
互いに磨かれて、より輝くのだ。